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2015年11月09日

第2926問

【第2926問】
平家物語に描かれる 「 大原御幸 」 とは、白河法皇がどこへ行った時のこと述べているか。

ア、三千院  イ、勝林院  ウ、寂光院  エ、古知谷阿弥陀寺

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【第2926問】

<解答>  ウ、寂光院

<解説>  寂光院は、推古2 ( 594 ) 年に聖徳太子が御父用明天皇の菩提を弔うために建立されたと伝えられる。平安末期には建礼門院徳子 ( 平清盛息女、高倉天皇中宮、安徳天皇母 ) が源平の合戦に敗れた後に、この地に侍女たちとともに閑居して終生を過ごしたとされる。平家物語の最後を飾る 「 潅頂の巻 」 では、その建礼門院のもとへ後白河法皇が訪ねてくる場面 ( 大原御幸 ) の舞台となった。
  三千院は明治4 ( 1871 ) 年に現在地に移転してきた寺院であり、古知谷阿弥陀寺も慶長14 ( 1609 ) 年に創建されたことから、建礼門院が大原に来た際には寺院としての存在はなかった。勝林院は長和2 ( 1013 ) 年の創建のため、建礼門院が大原に来た時には存在したが、この寺院は建礼門院がこの地にくる前、文治2 ( 1186 ) 年の 「 大原問答 」 の舞台となった寺院として知られている。(2級)



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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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