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2015年11月02日

第2919問

【第2919問】
幕末に京都守護職となった会津藩はどこへ陣を置いたか。

ア、天龍寺  イ、金戒光明寺  ウ、東寺  エ、相国寺

↓解答はこちら

【第2919問】

<解答>  イ、金戒光明寺

<解説>  京都守護職は、文久2 ( 1862 ) 年に京都の治安の維持のために江戸幕府が設置した要職である。初代京都守護職には会津藩主松平容保が就任し、当初は金戒光明寺に本陣を置き、翌年末にはこの地に新しく屋敷を構えて幕末の混乱した政局を支え続けた。松平容保は孝明天皇の信頼が厚く、職務を実直に遂行したため尊王攘夷派からは恨みを買うことになり、戊辰戦争では最大の朝敵として窮地に立たされたが、最後まで幕府のために戦い抜いた。京都守護職屋敷は慶応3 ( 1867 ) 年12月に廃止され,その跡地には京都府庁が移転し、現在に至っている。
  天龍寺は幕末の蛤御門の変の際に、長州藩が陣を置き、東寺は南北朝時代に足利尊氏が陣を置き、相国寺は室町時代の応仁の乱の際に、東軍を率いた細川勝元が陣を置いた。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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