2012年05月18日
第1661問
【第1661問】
四神相応に基づき平安京を守る南の神様 ( 朱雀 ) となった巨椋池はいつ埋め立てられたか。
ア、江戸時代 イ、明治時代 ウ、大正時代 エ、昭和時代
↓解答はこちら
四神相応に基づき平安京を守る南の神様 ( 朱雀 ) となった巨椋池はいつ埋め立てられたか。
ア、江戸時代 イ、明治時代 ウ、大正時代 エ、昭和時代
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【第1661問】
<解答> エ、昭和時代
<解説> かつて京都府宇治市の北側、宇治川の南側に広大な面積を持った巨椋池 ( おぐらいけ ) は、平安京の四神の中では南を守る神様 「 朱雀 」 に位置付けられていた。古来観月の名所としも知られ、多くの島を有していたことがわかっており、その名残りが向島、槇島、中書島などの地名に残っている。昭和に入ると、戦時中の食糧難に対応するべく埋め立てが計画され、昭和8 ( 1933 ) 年から昭和16 ( 1941 ) 年にかけて干拓がおこなわれた。こうして琵琶湖に次ぐ日本第二位の大きさを誇った巨椋池は、歴史から消え去ったのである。(3級)
<解答> エ、昭和時代
<解説> かつて京都府宇治市の北側、宇治川の南側に広大な面積を持った巨椋池 ( おぐらいけ ) は、平安京の四神の中では南を守る神様 「 朱雀 」 に位置付けられていた。古来観月の名所としも知られ、多くの島を有していたことがわかっており、その名残りが向島、槇島、中書島などの地名に残っている。昭和に入ると、戦時中の食糧難に対応するべく埋め立てが計画され、昭和8 ( 1933 ) 年から昭和16 ( 1941 ) 年にかけて干拓がおこなわれた。こうして琵琶湖に次ぐ日本第二位の大きさを誇った巨椋池は、歴史から消え去ったのである。(3級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
│歴史・史跡