2016年09月23日
第3245問
【第3245問】
山科から北陸方面への近道として活用された道はどこか。
ア、山中越 イ、途中越 ウ、小関越 エ、唐櫃越
↓解答はこちら
山科から北陸方面への近道として活用された道はどこか。
ア、山中越 イ、途中越 ウ、小関越 エ、唐櫃越
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【第3245問】
<解答> ウ、小関越
<解説> 小関越 ( こせきごえ ) は山科から大津宿間の旧東海道から分かれて北側に伸びた道で、本道である逢坂越えを大関に例えて小関越えと呼ばれた。北陸方面へ向かうには最短のルートであり、三井寺の境内へとつながっている。
山中越は、別名 「 志賀越道 」 ( しがごえみち ) と呼ばれる北白川から大津へ抜ける古道で、現在も車で比叡山に登る際によく使用される。途中越は、京都の大原から滋賀の堅田方面へ抜ける古道で、かつては源義朝もこの道を敗走したとされる。唐櫃越 ( からとごえ ) は亀岡から京都市内へと抜ける古道で、明智光秀が本能寺の変で織田信長を討った際に使用した道の一つとされる。(2級)
<解答> ウ、小関越
<解説> 小関越 ( こせきごえ ) は山科から大津宿間の旧東海道から分かれて北側に伸びた道で、本道である逢坂越えを大関に例えて小関越えと呼ばれた。北陸方面へ向かうには最短のルートであり、三井寺の境内へとつながっている。
山中越は、別名 「 志賀越道 」 ( しがごえみち ) と呼ばれる北白川から大津へ抜ける古道で、現在も車で比叡山に登る際によく使用される。途中越は、京都の大原から滋賀の堅田方面へ抜ける古道で、かつては源義朝もこの道を敗走したとされる。唐櫃越 ( からとごえ ) は亀岡から京都市内へと抜ける古道で、明智光秀が本能寺の変で織田信長を討った際に使用した道の一つとされる。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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