2016年03月07日
第3045問
【第3045問】
平安末期に東寺を再建した人物といえばだれか。
ア、道昌 イ、文覚上人 ウ、良源 エ、待賢門院
↓解答はこちら
平安末期に東寺を再建した人物といえばだれか。
ア、道昌 イ、文覚上人 ウ、良源 エ、待賢門院
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【第3045問】
<解答> イ、文覚上人
<解説> 東寺は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都の際に、護国の寺として羅城門の東に建立され、西の西寺 ( 現存せず ) とともに平安京の二大官寺の一つとされた。その後、弘仁14 ( 823 ) 年に嵯峨天皇によって弘法大師空海に下賜されて、真言密教の道場としての歴史を歩んだ。空海亡き後、一時荒廃し、高雄の文覚上人が後白河法皇や源頼朝の協力を取り付けて再興したが、文明18 ( 1486 ) 年の火災によって主要な伽藍のほとんどを失った。その後、豊臣家、徳川家の援助により、現在の形となった。
空海の弟子であった道昌は法輪寺と広隆寺を再建し、第18代天台座主となった良源は衰退しつつあった延暦寺を再興し、鳥羽天皇の皇后であった待賢門院は、清原夏野の別荘が寺院となっていたものを再興し、法金剛院とした。(3級)
<解答> イ、文覚上人
<解説> 東寺は、延暦13 ( 794 ) 年の平安京遷都の際に、護国の寺として羅城門の東に建立され、西の西寺 ( 現存せず ) とともに平安京の二大官寺の一つとされた。その後、弘仁14 ( 823 ) 年に嵯峨天皇によって弘法大師空海に下賜されて、真言密教の道場としての歴史を歩んだ。空海亡き後、一時荒廃し、高雄の文覚上人が後白河法皇や源頼朝の協力を取り付けて再興したが、文明18 ( 1486 ) 年の火災によって主要な伽藍のほとんどを失った。その後、豊臣家、徳川家の援助により、現在の形となった。
空海の弟子であった道昌は法輪寺と広隆寺を再建し、第18代天台座主となった良源は衰退しつつあった延暦寺を再興し、鳥羽天皇の皇后であった待賢門院は、清原夏野の別荘が寺院となっていたものを再興し、法金剛院とした。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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