2012年09月18日
第1784問
【第1784問】
洛北にある円通寺の庭園を手掛けた人物はだれか。
ア、後水尾天皇 イ、玉淵坊 ウ、金森宗和 エ、石川丈山
↓解答はこちら
洛北にある円通寺の庭園を手掛けた人物はだれか。
ア、後水尾天皇 イ、玉淵坊 ウ、金森宗和 エ、石川丈山
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【第1784問】
<解答> ア、後水尾天皇
<解説> 円通寺は後水尾天皇が造営された幡枝離宮が前身であり、修学院離宮の造営に伴い、近衛家に譲渡された後の延宝6 ( 1678 ) 年に、霊元天皇の乳母であった円光院文英尼 ( ぶんえいに ) が開基となって寺に改め、皇室の祈願所となった。国の名勝に指定された平庭式の枯山水庭園は、苔を主体に刈込みと石を配し、大小40余りの庭石は、上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわている。比叡山の借景にこだわりぬいた天皇は、この場所を決めるのに12年の歳月をかけたと伝わり、京都のあらゆる場所の中で比叡山が最も美しく見える場所とされてる。
玉淵坊 ( ぎょくえんぼう ) は、日蓮宗の僧侶でありながら妙蓮寺や知恩院の作庭を行い、桂離宮の造営にも関わったとされる。小堀遠州から茶道を学んだ金森宗和 ( かなもりそうわ ) は、金閣寺茶室夕佳亭 ( せっかてい ) を造り、三千院の聚碧園 ( しゅうへきえん ) も金森宗和好みと伝わっている。若き日に徳川家康に仕えた石川丈山は、詩仙堂にて悠々自適の日々を過ごしながら、蓮華寺、渉成園、酬恩庵などの庭園の造営に関わったとされる。(3級)
<解答> ア、後水尾天皇
<解説> 円通寺は後水尾天皇が造営された幡枝離宮が前身であり、修学院離宮の造営に伴い、近衛家に譲渡された後の延宝6 ( 1678 ) 年に、霊元天皇の乳母であった円光院文英尼 ( ぶんえいに ) が開基となって寺に改め、皇室の祈願所となった。国の名勝に指定された平庭式の枯山水庭園は、苔を主体に刈込みと石を配し、大小40余りの庭石は、上皇となった後水尾天皇が自ら配したといわている。比叡山の借景にこだわりぬいた天皇は、この場所を決めるのに12年の歳月をかけたと伝わり、京都のあらゆる場所の中で比叡山が最も美しく見える場所とされてる。
玉淵坊 ( ぎょくえんぼう ) は、日蓮宗の僧侶でありながら妙蓮寺や知恩院の作庭を行い、桂離宮の造営にも関わったとされる。小堀遠州から茶道を学んだ金森宗和 ( かなもりそうわ ) は、金閣寺茶室夕佳亭 ( せっかてい ) を造り、三千院の聚碧園 ( しゅうへきえん ) も金森宗和好みと伝わっている。若き日に徳川家康に仕えた石川丈山は、詩仙堂にて悠々自適の日々を過ごしながら、蓮華寺、渉成園、酬恩庵などの庭園の造営に関わったとされる。(3級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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