2013年09月01日
第2130問
【第2130問】
大徳寺を再建した一休禅師に帰依した人物はだれか。
ア、尾和宗臨 イ、荒木宗禎 ウ、本阿弥清信 エ、灰屋紹益
↓解答はこちら
大徳寺を再建した一休禅師に帰依した人物はだれか。
ア、尾和宗臨 イ、荒木宗禎 ウ、本阿弥清信 エ、灰屋紹益
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【第2130問】
<解答> ア、尾和宗臨
<解説> 尾和宗臨 ( おわそうりん ) は堺の豪商で、一休禅師に帰依して大徳寺再建に貢献した。もともと一休禅師のために寺院建立を願っていたが、一休禅師は自分のための寺院建立は断り続け、再建を任された大徳寺再建に協力を依頼した。尾和宗臨は他の商人とも力を合わせて再建に尽力し、貿易で使った船の帆柱まで寺院に寄進した。さらに一休禅師が亡きあとは、生前は固辞されていた一休禅師のための寺院として真珠庵を建立し、自身のその境内に眠っている。
荒木宗禎は京都で両替商を行っていた商人で、万海和尚に帰依して法輪寺 ( 達磨寺 ) の開基となった。本阿弥清信は刀剣の鑑定や研磨などを家業としており、日親上人に帰依して本法寺の大檀越となった。曾孫に名高い本阿弥光悦が誕生し、光悦も本法寺に 「 三つ巴の庭 」 を残している。灰屋紹益は京都の豪商であり文化人であった人物で、吉野太夫を身請けしたことで知られ、その墓は立本寺にある。(2級)
<解答> ア、尾和宗臨
<解説> 尾和宗臨 ( おわそうりん ) は堺の豪商で、一休禅師に帰依して大徳寺再建に貢献した。もともと一休禅師のために寺院建立を願っていたが、一休禅師は自分のための寺院建立は断り続け、再建を任された大徳寺再建に協力を依頼した。尾和宗臨は他の商人とも力を合わせて再建に尽力し、貿易で使った船の帆柱まで寺院に寄進した。さらに一休禅師が亡きあとは、生前は固辞されていた一休禅師のための寺院として真珠庵を建立し、自身のその境内に眠っている。
荒木宗禎は京都で両替商を行っていた商人で、万海和尚に帰依して法輪寺 ( 達磨寺 ) の開基となった。本阿弥清信は刀剣の鑑定や研磨などを家業としており、日親上人に帰依して本法寺の大檀越となった。曾孫に名高い本阿弥光悦が誕生し、光悦も本法寺に 「 三つ巴の庭 」 を残している。灰屋紹益は京都の豪商であり文化人であった人物で、吉野太夫を身請けしたことで知られ、その墓は立本寺にある。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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