2011年07月07日
第1343問
【第1343問】
石清水八幡宮を勧請してきたのは誰か。
ア、源経基 イ、源頼義 ウ、源義家 エ、源頼朝
↓解答はこちら
石清水八幡宮を勧請してきたのは誰か。
ア、源経基 イ、源頼義 ウ、源義家 エ、源頼朝
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【第1343問】
<解答> イ、源頼義
<解説> 嵯峨天皇以来、源氏は次々と生まれたが、最も繁栄したのが、第56代清和天皇から成る系列である。清和天皇の第6皇子である貞純親王の子であった源経基が祖とされており、以来、その子源満仲の時代に摂津に土着し、続いて源頼信は河内国へ進出した。後を継いだ源頼義は 「 前九年の役 」 を戦い、東国地方に確固たる地位を築いた。また頼義は宇佐八幡宮から八幡神を勧請し、石清水八幡宮を創建した。子である源義家は、7歳でこちらで元服したことから 「 八幡太郎義家 」 と称した。その後、源氏は義親が反乱を起こすなどして勢力が衰退し、代わりに平氏が台頭することとなる。平氏は清盛の時代に全盛期を迎えるが、やがて伊豆に幽閉されていた源頼朝が打倒平家に立ちあがり、弟である源義経の活躍もあって平氏を滅ぼすと、鎌倉にて武家による初めての政権を開いた。(3級)
<解答> イ、源頼義
<解説> 嵯峨天皇以来、源氏は次々と生まれたが、最も繁栄したのが、第56代清和天皇から成る系列である。清和天皇の第6皇子である貞純親王の子であった源経基が祖とされており、以来、その子源満仲の時代に摂津に土着し、続いて源頼信は河内国へ進出した。後を継いだ源頼義は 「 前九年の役 」 を戦い、東国地方に確固たる地位を築いた。また頼義は宇佐八幡宮から八幡神を勧請し、石清水八幡宮を創建した。子である源義家は、7歳でこちらで元服したことから 「 八幡太郎義家 」 と称した。その後、源氏は義親が反乱を起こすなどして勢力が衰退し、代わりに平氏が台頭することとなる。平氏は清盛の時代に全盛期を迎えるが、やがて伊豆に幽閉されていた源頼朝が打倒平家に立ちあがり、弟である源義経の活躍もあって平氏を滅ぼすと、鎌倉にて武家による初めての政権を開いた。(3級)
Posted by きょうすけ at 15:19│Comments(0)
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