2009年03月23日
第457問
【第457問】
次のうち梨木神社に歌碑があるのはだれか。
ア、吉井勇 イ、西田幾多郎 ウ、湯川秀樹 エ、与謝野晶子
↓解答はこちら
次のうち梨木神社に歌碑があるのはだれか。
ア、吉井勇 イ、西田幾多郎 ウ、湯川秀樹 エ、与謝野晶子
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【第457問】
<解答> ウ、湯川秀樹
<解説> 湯川秀樹博士は、日本最初のノーベル賞受賞者であり、梨木神社の 「 萩の会 」 の初代会長でもあった。梨木神社に残る湯川秀樹博士の歌碑には 「 千年の昔の園もかくやありし 木の下かげに乱れ咲く萩 」 と萩を愛でた歌が刻まれている。また江戸後期の国学者で、 『 雨月物語 』 の作者である上田秋成の歌碑もある。
吉井勇の歌碑といえば祇園白川にある。 「 かにかくに 祇園はこひし寝 ( ぬ ) るときも 枕のしたを水のながるる 」 と刻まれており、この付近にあった大友というお茶屋さんに通っていた時に詠んだとされる。西田幾多郎の歌碑は哲学の道にある。 「 人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり 」 と刻まれており、哲学の道の名前は西田幾多郎が思索にふけりながら歩いたことから名がついた。鞍馬寺には霊宝館に与謝野鉄幹、与謝野晶子の遺品等を展示した 「 与謝野記念室 」 があり、霊宝館前には与謝野晶子の書斎 「 冬柏亭 」 が移築されており、与謝野鉄幹と与謝野晶子歌碑も残っている。(2級)
<解答> ウ、湯川秀樹
<解説> 湯川秀樹博士は、日本最初のノーベル賞受賞者であり、梨木神社の 「 萩の会 」 の初代会長でもあった。梨木神社に残る湯川秀樹博士の歌碑には 「 千年の昔の園もかくやありし 木の下かげに乱れ咲く萩 」 と萩を愛でた歌が刻まれている。また江戸後期の国学者で、 『 雨月物語 』 の作者である上田秋成の歌碑もある。
吉井勇の歌碑といえば祇園白川にある。 「 かにかくに 祇園はこひし寝 ( ぬ ) るときも 枕のしたを水のながるる 」 と刻まれており、この付近にあった大友というお茶屋さんに通っていた時に詠んだとされる。西田幾多郎の歌碑は哲学の道にある。 「 人は人吾はわれ也 とにかくに吾行く道を吾行なり 」 と刻まれており、哲学の道の名前は西田幾多郎が思索にふけりながら歩いたことから名がついた。鞍馬寺には霊宝館に与謝野鉄幹、与謝野晶子の遺品等を展示した 「 与謝野記念室 」 があり、霊宝館前には与謝野晶子の書斎 「 冬柏亭 」 が移築されており、与謝野鉄幹と与謝野晶子歌碑も残っている。(2級)
Posted by きょうすけ at 12:30│Comments(0)
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