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2009年09月26日

第645問

【第645問】
“ 嵯峨の山 みゆき絶えにし芹川の 千代の古道跡はありけり ” と詠んだのは誰か。

ア、在原行平  イ、嵯峨天皇  ウ、藤原公任  エ、惟喬親王

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【第645問】

<解答> ア、在原行平 

<解説> かつて嵯峨野には嵯峨離宮が嵯峨天皇によって営まれた。平安貴族達はこぞって権力が大きかった嵯峨天皇に会うために、洛中より離宮に参内したという。しかし、その後は藤原氏が勢力を伸張し、第55代の文徳天皇の頃には藤原良房が権勢を強め、第1皇子であった惟喬親王 ( これたかしんのう ) は、藤原氏を母とする第4皇子の清和天皇がいたため、皇位をあきらめることとなった。第58代光孝天皇の頃には、かつての嵯峨天皇の威勢を偲ぶべく、芹川方面に行幸が行なわれ、随行した在原行平によって、問いの歌が詠われた。一端は第59代宇多天皇によって天皇が権威を持つ時期もあったが、その後はすっかり藤原氏によって摂関政治が行なわれ、全盛の時代を築いた藤原道長と同時代に生きた藤原公任は、かつての嵯峨離宮を訪れて、 “ 滝の音はたえて久しくなりぬれど名こそ流れてなほ聞こえけれ ” と詠んだ。(2級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)自然・観光
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