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2009年04月13日

第478問

【第478問】
西陣に住んだ芸術家は日蓮宗信徒が多いが、次の組み合わせで間違っているのはどれか。

ア、妙覚寺・狩野元信  イ、本法寺・本阿弥光悦  ウ、立本寺・灰屋紹益  エ、妙顕寺・俵屋宗達

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【第478問】

<解答> エ、妙顕寺・俵屋宗達
 
<解説> 妙顕寺は、建武元 ( 1334 ) 年に後醍醐天皇によって日蓮宗で最初に勅願寺と定められた寺院で、京都における日蓮宗の草分け的存在である。こちらの檀家といえば尾形光琳・乾山の兄弟が知られている。選択肢にあった俵屋宗達は、尾形光琳よりも先に時代を生きた絵師で、国宝の風神雷神図屏風などの優れた作品を数多く残しているが、生没年もはっきりしておらず、晩年は石川県へ移ったという説もある。
  妙覚寺は、狩野元信や永徳をはじめ狩野派一族が眠っている。かつては織田信長が上洛の折の宿所として使っていたが、 「 本能寺の変 」 によってあえなく最期をとげた。その時、こちらには織田家の家督を継いだ織田信忠が泊まっており、父同様に明智光秀に攻められて自害した。本法寺は本阿弥家の菩提寺であり、熱心な法華経信者であった本阿弥光悦は、本法寺の書院前に 「 三つ巴 」 を作庭した。立本寺灰屋紹益の菩提寺である。妻の吉野太夫も同じく日蓮宗の信者であり、本来は夫妻ともども立本寺の墓地に埋葬されるのが一般的であるが、吉野太夫は鷹峯の常照寺を厚く信仰しており、吉野門と呼ばれる朱色の山門を寄進しており、墓も遺言によって常照寺に作られた。(2級)

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Posted by きょうすけ at 21:59│Comments(0)芸術・文化
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