2009年03月31日
第465問
【第465問】
洛北の名庭 「 雪の庭 」 を持つ妙満寺の開祖は誰か。
ア、日親上人 イ、日什上人 ウ、日乾上人 エ、日真上人
↓解答はこちら
洛北の名庭 「 雪の庭 」 を持つ妙満寺の開祖は誰か。
ア、日親上人 イ、日什上人 ウ、日乾上人 エ、日真上人
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【第465問】
<解答> イ、日什上人
<解説> 日什上人は天台宗の僧侶であり、比叡山3000人の学頭まで務めた人物である。引退して関東へ退いた時に、日蓮上人の教えに触れて日蓮宗へ改宗し、高齢を押して京都へ再度上洛して妙満寺 ( 写真 ) を開いた。 「 雪の庭 」 は松永貞徳の作庭とされ、 比叡山を借景としている。「 月の庭 」 の清水寺の成就院、 「 花の庭 」 の北野成就院 ( 廃寺 ) とともに雪月花三名園と称されている。
日親上人は本法寺を開いた。当時の権力者であった足利義教の勘気に触れ、投獄されて拷問を受けた。最後には焼けた鍋を被らされて改宗を迫られたが信念を曲げなかったという。そのため許されて後は、 「 鍋かむり日親 」 と呼ばれた。日乾上人は本阿弥光悦によって寄進された土地に常照寺を開創した。吉野太夫の帰依も受け、吉野太夫より吉野門 ( 赤門 ) を寄進されている。日真上人は六角西洞院に草庵を結び、後に本隆寺となった。境内の 「 夜泣き止めの松 」 は木の葉を枕の下に敷くと夜泣きが止むと伝わる。
その他にも、日蓮宗を京都にて最初に布教した日像上人は妙顕寺と妙蓮寺を、日隆上人は本能寺を、日禛 ( にっしん ) 上人は常寂光寺を、日英上人は松ヶ崎大黒天 ( 妙円寺 ) を、日秀上人は本満寺をそれぞれ開いている。(2級)
<解答> イ、日什上人
<解説> 日什上人は天台宗の僧侶であり、比叡山3000人の学頭まで務めた人物である。引退して関東へ退いた時に、日蓮上人の教えに触れて日蓮宗へ改宗し、高齢を押して京都へ再度上洛して妙満寺 ( 写真 ) を開いた。 「 雪の庭 」 は松永貞徳の作庭とされ、 比叡山を借景としている。「 月の庭 」 の清水寺の成就院、 「 花の庭 」 の北野成就院 ( 廃寺 ) とともに雪月花三名園と称されている。
日親上人は本法寺を開いた。当時の権力者であった足利義教の勘気に触れ、投獄されて拷問を受けた。最後には焼けた鍋を被らされて改宗を迫られたが信念を曲げなかったという。そのため許されて後は、 「 鍋かむり日親 」 と呼ばれた。日乾上人は本阿弥光悦によって寄進された土地に常照寺を開創した。吉野太夫の帰依も受け、吉野太夫より吉野門 ( 赤門 ) を寄進されている。日真上人は六角西洞院に草庵を結び、後に本隆寺となった。境内の 「 夜泣き止めの松 」 は木の葉を枕の下に敷くと夜泣きが止むと伝わる。
その他にも、日蓮宗を京都にて最初に布教した日像上人は妙顕寺と妙蓮寺を、日隆上人は本能寺を、日禛 ( にっしん ) 上人は常寂光寺を、日英上人は松ヶ崎大黒天 ( 妙円寺 ) を、日秀上人は本満寺をそれぞれ開いている。(2級)
Posted by きょうすけ at 20:01│Comments(0)
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