2009年03月20日
第454問
【第454問】
江戸時代、表千家はどこの指南をつとめていたか。
ア、加賀前田家 イ、紀州徳川家 ウ、尾張徳川家 エ、讃岐高松松平家
↓解答はこちら
江戸時代、表千家はどこの指南をつとめていたか。
ア、加賀前田家 イ、紀州徳川家 ウ、尾張徳川家 エ、讃岐高松松平家
↓解答はこちら
【第454問】
<解答> イ、紀州徳川家
<解説> 表千家は千宗旦の三男であった千宗左が継ぎ、紀州徳川家に仕えた。茶室の名前は不審菴である。
また四男の千宗室は裏千家を興し、加賀前田家に仕えた。まさにその名の通り、表千家の裏に家を造ったことから、裏千家という名前となった。茶室の名前は今日庵である。二男の宗守は武者小路千家を興し、讃岐高松松平家に仕えた。その出仕が終わって造った茶室が官休庵である。つまり官に仕えてきたが、それを辞して造ったという意味がこ込められている。(3級)
<解答> イ、紀州徳川家
<解説> 表千家は千宗旦の三男であった千宗左が継ぎ、紀州徳川家に仕えた。茶室の名前は不審菴である。
また四男の千宗室は裏千家を興し、加賀前田家に仕えた。まさにその名の通り、表千家の裏に家を造ったことから、裏千家という名前となった。茶室の名前は今日庵である。二男の宗守は武者小路千家を興し、讃岐高松松平家に仕えた。その出仕が終わって造った茶室が官休庵である。つまり官に仕えてきたが、それを辞して造ったという意味がこ込められている。(3級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
│芸術・文化