2009年03月10日
第444問
【第444問】
次の橋のうち南から北へ並んだ順で正しいのはどれか。
ア、塩小路橋→団栗橋→松原橋→正面橋
イ、正面橋→塩小路橋→松原橋→団栗橋
ウ、塩小路橋→正面橋→松原橋→団栗橋
エ、正面橋→塩小路橋→団栗橋→松原橋
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次の橋のうち南から北へ並んだ順で正しいのはどれか。
ア、塩小路橋→団栗橋→松原橋→正面橋
イ、正面橋→塩小路橋→松原橋→団栗橋
ウ、塩小路橋→正面橋→松原橋→団栗橋
エ、正面橋→塩小路橋→団栗橋→松原橋
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【第444問】
<解答> ウ、塩小路橋→正面橋→松原橋→団栗橋
<解説> 塩小路通は、かつて左大臣源融の別荘 「河原院 」 にあった塩釜からその名がついたとされる。この付近の町名も塩竈 ( しおがま ) 町となって残っている。正面通は、豊臣秀吉が建立した方広寺の正面の道であることに由来し、秀吉は方広寺へ向かうために大きな道路を必要としたために、現在の五条通を新たに作った。そのためかつての五条通は、現在松原通へと名前を変えており、橋の名も松原橋となっている。さらに北に架かる橋が団栗橋である。天明8 ( 1788 ) 年に起こった京都で起こった大火災を 「 天明の大火 」 というが、この団栗橋付近が出火元であったため、別名 「 団栗焼け 」 と呼ばれている。(2級)
<解答> ウ、塩小路橋→正面橋→松原橋→団栗橋
<解説> 塩小路通は、かつて左大臣源融の別荘 「河原院 」 にあった塩釜からその名がついたとされる。この付近の町名も塩竈 ( しおがま ) 町となって残っている。正面通は、豊臣秀吉が建立した方広寺の正面の道であることに由来し、秀吉は方広寺へ向かうために大きな道路を必要としたために、現在の五条通を新たに作った。そのためかつての五条通は、現在松原通へと名前を変えており、橋の名も松原橋となっている。さらに北に架かる橋が団栗橋である。天明8 ( 1788 ) 年に起こった京都で起こった大火災を 「 天明の大火 」 というが、この団栗橋付近が出火元であったため、別名 「 団栗焼け 」 と呼ばれている。(2級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
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