2009年02月24日
第430問
【第430問】
次のうち黄檗山万福寺に関った人物でないのはどれか。
ア、高遊外 イ、菊舎尼 ウ、徳川家光 エ、隠元隆琦
↓解答はこちら
次のうち黄檗山万福寺に関った人物でないのはどれか。
ア、高遊外 イ、菊舎尼 ウ、徳川家光 エ、隠元隆琦
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【第430問】
<解答> ウ、徳川家光
<解説> 中国から請われて来日を果たした隠元隆琦は当時63歳の高齢で、3年したら中国に帰ると約束して弟子を30名程引き連れて来日した。その宗風に触れんと全国から禅宗の僧が終結し、ことごとく影響を受けたという。そして、帰国約束の3年目、ついに江戸幕府第4代目の将軍徳川家綱に拝謁した。家綱もたちまち隠元に帰依し、現在の万福寺の土地と建物の寄進を申し出たため、隠元もついに意を決して日本に残る覚悟を決めたのであった。
そうして創建された万福寺は純粋に中国風の寺院であり、材質から伽藍配置まで日本のどの寺院とも違った特色をいくつも備えている。例えば南方産のチーク材を使っていたり、法堂前の天井がアーチ型をしていることや、桃符と呼ばれる桃をかたどった意匠、丸窓などが挙げられる。そんな中国風で統一された寺院を出ると、そこは一変して日本の風景が広がっている。この情景を菊舎尼は 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた 」 と詠んでいる。 「 茶摘うた 」 という表現から、万福寺周辺には宇治の茶畑が広がっていることがわかる。お茶といえば売翁王と呼ばれた高遊外も万福寺で修行をした黄檗宗の僧であり、功績を記念して売翁堂が境内にある(2級)
<解答> ウ、徳川家光
<解説> 中国から請われて来日を果たした隠元隆琦は当時63歳の高齢で、3年したら中国に帰ると約束して弟子を30名程引き連れて来日した。その宗風に触れんと全国から禅宗の僧が終結し、ことごとく影響を受けたという。そして、帰国約束の3年目、ついに江戸幕府第4代目の将軍徳川家綱に拝謁した。家綱もたちまち隠元に帰依し、現在の万福寺の土地と建物の寄進を申し出たため、隠元もついに意を決して日本に残る覚悟を決めたのであった。
そうして創建された万福寺は純粋に中国風の寺院であり、材質から伽藍配置まで日本のどの寺院とも違った特色をいくつも備えている。例えば南方産のチーク材を使っていたり、法堂前の天井がアーチ型をしていることや、桃符と呼ばれる桃をかたどった意匠、丸窓などが挙げられる。そんな中国風で統一された寺院を出ると、そこは一変して日本の風景が広がっている。この情景を菊舎尼は 「山門を 出れば日本ぞ 茶摘うた 」 と詠んでいる。 「 茶摘うた 」 という表現から、万福寺周辺には宇治の茶畑が広がっていることがわかる。お茶といえば売翁王と呼ばれた高遊外も万福寺で修行をした黄檗宗の僧であり、功績を記念して売翁堂が境内にある(2級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
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