2009年02月22日
第428問
【第428問】
京都の伝説について誤っているものを選べ。
ア、蹴上の石仏は源義経が安置したとされる。
イ、北白川の石仏は豊臣秀吉が気に入った石仏である。
ウ、こぬか薬師は徳川家康が現在の場所に移した。
エ、十輪寺の塩竃は在原業平ゆかりのものである。
↓解答はこちら
京都の伝説について誤っているものを選べ。
ア、蹴上の石仏は源義経が安置したとされる。
イ、北白川の石仏は豊臣秀吉が気に入った石仏である。
ウ、こぬか薬師は徳川家康が現在の場所に移した。
エ、十輪寺の塩竃は在原業平ゆかりのものである。
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【第428問】
<解答> ウ、こぬか薬師は徳川家康が現在の場所に移した。
<解説> 最澄が一刀三礼 ( 1回刻むたびに3回拝む ) の礼を尽くして彫られたと伝わるこぬか薬師の薬師如来像は、斉藤道三が所有していたのを娘を妻に娶った織田信長がもらいうけ、美濃国から現在の場所へ移したと伝わる。かつて都に疫病が流行って人々が苦しんでいたとき、薬師如来像現れ、 「 一切の衆生わが前に参ぜよ、諸病ことごとく除くべきに、こぬかこぬか 」 と発せられ、集まった民衆の病がことごとく癒えたため、こぬか薬師と呼ばれるようになった。現在10月8日のみご開帳となる。
源義経は奥州藤原氏を頼って都を離れる際に、蹴上で兵士の一団9人に遭遇した。水溜りの水を馬が跳ね上げて義経にかかったため、首途 ( かどで ) を汚されたと怒って全員を切り殺したという。気が済んだ義経はその9人の菩提を弔うために、9体の地蔵を安置したいう。
北白川にあった大仏を大変気に入った豊臣秀吉は聚楽第に運びこんだ。しかし、夜な夜なうめき声が聞こえ、よく聞いてみると 「 いのう いのう 」 ( 北白川に戻りたいという意 ) と言っていたことから、豊臣秀吉があきらめて戻したと伝わる。
西山の十輪寺は伊勢物語のモデルともなった六歌仙の一人、在原業平が隠棲した場所とされる。かつての恋人であった二条后 ( 藤原高子 ) への思いを塩焼きした煙にたくしたとも伝わる。(3級)
<解答> ウ、こぬか薬師は徳川家康が現在の場所に移した。
<解説> 最澄が一刀三礼 ( 1回刻むたびに3回拝む ) の礼を尽くして彫られたと伝わるこぬか薬師の薬師如来像は、斉藤道三が所有していたのを娘を妻に娶った織田信長がもらいうけ、美濃国から現在の場所へ移したと伝わる。かつて都に疫病が流行って人々が苦しんでいたとき、薬師如来像現れ、 「 一切の衆生わが前に参ぜよ、諸病ことごとく除くべきに、こぬかこぬか 」 と発せられ、集まった民衆の病がことごとく癒えたため、こぬか薬師と呼ばれるようになった。現在10月8日のみご開帳となる。
源義経は奥州藤原氏を頼って都を離れる際に、蹴上で兵士の一団9人に遭遇した。水溜りの水を馬が跳ね上げて義経にかかったため、首途 ( かどで ) を汚されたと怒って全員を切り殺したという。気が済んだ義経はその9人の菩提を弔うために、9体の地蔵を安置したいう。
北白川にあった大仏を大変気に入った豊臣秀吉は聚楽第に運びこんだ。しかし、夜な夜なうめき声が聞こえ、よく聞いてみると 「 いのう いのう 」 ( 北白川に戻りたいという意 ) と言っていたことから、豊臣秀吉があきらめて戻したと伝わる。
西山の十輪寺は伊勢物語のモデルともなった六歌仙の一人、在原業平が隠棲した場所とされる。かつての恋人であった二条后 ( 藤原高子 ) への思いを塩焼きした煙にたくしたとも伝わる。(3級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
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