2009年02月18日
第424問
【第424問】
天台宗について誤っているものを選べ。
ア、最澄が開いた延暦寺は最澄の死後、密教が本格的に取り入れられた。
イ、延暦寺は良源の時に、 「 三塔十六谷三千坊 」 と呼ばれる最盛期を迎えた。
ウ、天台三門跡寺院といえば、青蓮院、曼殊院、三千院である。
エ、延暦寺からは法然、親鸞、日蓮、栄西、道元といった名僧が現れた。
↓解答はこちら
天台宗について誤っているものを選べ。
ア、最澄が開いた延暦寺は最澄の死後、密教が本格的に取り入れられた。
イ、延暦寺は良源の時に、 「 三塔十六谷三千坊 」 と呼ばれる最盛期を迎えた。
ウ、天台三門跡寺院といえば、青蓮院、曼殊院、三千院である。
エ、延暦寺からは法然、親鸞、日蓮、栄西、道元といった名僧が現れた。
↓解答はこちら
【第424問】
<解答> ウ、天台三門跡寺院といえば、青蓮院、曼殊院、三千院である。
<解説> 天台三門跡寺院といえば、青蓮院、三千院、妙法院である。これに曼殊院、毘沙門堂が加わって、天台五箇室門跡となる。
最澄が日本に持ち帰ってきた教えは膨大であったが、天台教学が中心で、密教はわずかに勉強したに過ぎなかった。その後、密教の真髄を持ち帰った空海の力を知り、最澄の弟子である円仁や円珍らによって本格的に比叡山に密教がもたらされた。比叡山にて最澄の直系の弟子ではなかった良源は着々と実力をつけ、天台座主になるや風紀の乱れを厳しく律し、焼失した諸堂を建て直し、比叡山を大きく発展させたため中興の祖と呼ばれている。正月3日が命日であることから 「 元三大師 」 という呼び名でも親しまれ、おみくじを発明したとされる。その墓は比叡山の鬼門である横川にあり、比叡山の行く末を静かに見守り続けている。その後、平安末期に入ると、混迷の時代で翻弄され、疲弊した民衆を救うべく、多くの宗教家が比叡山を飛び出した。その先陣を切ったのが法然である。 「 南無阿弥陀仏を唱えれば誰もが極楽浄土にいける 」 という民衆にとって平易な教えは瞬く間に広がり、多くの弾圧にも絶えながら、現在の浄土宗の基礎をつくったといえる。またその門下より親鸞が出て、禅宗には栄西、道元、また日蓮宗を開く日蓮など、後に 「 鎌倉新仏教 」 と総称されるこれらの宗祖は、全て比叡山から大きく羽ばたいていった。(3級)
<解答> ウ、天台三門跡寺院といえば、青蓮院、曼殊院、三千院である。
<解説> 天台三門跡寺院といえば、青蓮院、三千院、妙法院である。これに曼殊院、毘沙門堂が加わって、天台五箇室門跡となる。
最澄が日本に持ち帰ってきた教えは膨大であったが、天台教学が中心で、密教はわずかに勉強したに過ぎなかった。その後、密教の真髄を持ち帰った空海の力を知り、最澄の弟子である円仁や円珍らによって本格的に比叡山に密教がもたらされた。比叡山にて最澄の直系の弟子ではなかった良源は着々と実力をつけ、天台座主になるや風紀の乱れを厳しく律し、焼失した諸堂を建て直し、比叡山を大きく発展させたため中興の祖と呼ばれている。正月3日が命日であることから 「 元三大師 」 という呼び名でも親しまれ、おみくじを発明したとされる。その墓は比叡山の鬼門である横川にあり、比叡山の行く末を静かに見守り続けている。その後、平安末期に入ると、混迷の時代で翻弄され、疲弊した民衆を救うべく、多くの宗教家が比叡山を飛び出した。その先陣を切ったのが法然である。 「 南無阿弥陀仏を唱えれば誰もが極楽浄土にいける 」 という民衆にとって平易な教えは瞬く間に広がり、多くの弾圧にも絶えながら、現在の浄土宗の基礎をつくったといえる。またその門下より親鸞が出て、禅宗には栄西、道元、また日蓮宗を開く日蓮など、後に 「 鎌倉新仏教 」 と総称されるこれらの宗祖は、全て比叡山から大きく羽ばたいていった。(3級)
Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)
│神社・寺院