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2009年01月17日

第392問

【第392問】
京都の図子で、平将門にまつわる逸話が残るのはどれか。

ア、膏薬図子  イ、了頓図子  ウ、団栗図子  エ、革堂図子

↓解答はこちら

【第392問】

<解答> ア、膏薬図子

<解説> 膏薬図子 ( 下京区の新町通と西洞院通の間、四条通から綾小路通まで ) は、一説には平将門の供養のために、空也上人が道場を建てたことから、空也供養が変化して 「 膏薬 」 となったとされている。
  了頓図子 ( 中京区の室町通と新町通の間を三条から六角通まで ) は、広野了頓という安土桃山時代の茶人の屋敷があった。秀吉が町の便宜を図るべく行った区画整備の際も、このあたり一帯は町衆でも最も力が強い家々が軒を連ねていたため、さしもの秀吉の計画も頓挫した。そこで、広野了頓は人々の通行に役立つのならと、自らの屋敷の門をあけて屋敷内を通行することを許したという。団栗図子 ( 東山区宮川筋一丁目と二丁目の境を東西に通じる ) は、江戸時代に発生した大火の火元となった。天明8 ( 1788 ) 年に洛中を焼き尽くした 「 天明の大火 」 は、この図子内の民家から出火したため、別名 「 団栗焼け 」 と呼ばれている。革堂図子 ( 上京区の一条上ル小川通から油小路通まで ) は、行願寺 ( 別名革堂 ) がかつてあった場所にできた図子であることから名がついた。その後、行願寺は現在の寺町通りに秀吉の命により移転している。(2級)

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Posted by きょうすけ at 12:00│Comments(0)生活・行事
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