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2008年12月23日

第367問

【第367問】
江戸中期に京都にて写生を重んじて一大流派を築いたのは誰か。

ア、伊藤若冲  イ、与謝蕪村  ウ、池大雅  エ、円山応挙

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【第367問】

<解答> エ、円山応挙

<解説> 円山応挙は現在の亀岡市出身で、狩野派の流をくむ石田幽汀の門に入り、その後円満院の門主や二条家、豪商三井家らに支持されて、独自の画風を極めていった。その特徴は写生を重視したことで、常に懐中に写生帖を忍ばせ、暇さえあればスケッチをしていたとされる。こうして培った写生の技術を基礎としつつも、日本絵画の伝統的な画題を扱い、装飾性豊かな画面を創造し、瞬く間に現代にまで続く 「 円山四条派 」 という一大流派を築いた。
  伊藤若冲は、円山応挙と同時代を生きた。錦小路の青物問屋の生まれで40歳から本格的に画業に専念した。狩野派に学ぶも飽き足らず、宋元画 ( 濃彩の花鳥画 ) に学び、模写に励んだが、それも飽きると実物写生に移行し、濃彩の花鳥画、とくに鶏の絵を得意とした。実際の絵を見ると実物写実とは言い難く、想像と独自の感覚を通して実物を捉えて表現しているといえる。近年までほとんど知る人ぞ知る画家であったが、超絶した技巧や奇抜な構成が再評価され、近年人気作家としてどこの展覧会でも多くの人が集まるようになった。与謝蕪村は松尾芭蕉、小林一茶と並び称される江戸俳諧の巨匠の一人であり、江戸俳諧中興の祖といわれる。また俳画の創始者でもある。大阪に生まれて江戸で学んだ後に松尾芭蕉に憧れて諸国を歴遊した。42歳頃に京都の住み、烏丸仏光寺西入ルにある自宅で68歳で亡くなった。墓所は左京区一乗寺にある金福寺境内にある。池大雅は京都生まれで、与謝蕪村とともに日本の文人画 ( 南画 ) の大成者とされ、書家としても一流であった。西芳寺 ( 苔寺 ) 東側に池大雅美術館がある。 (3級)

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Posted by きょうすけ at 23:58│Comments(0)建築・庭園・美術
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