2008年10月27日
第310問
【第310問】
東福寺の塔頭霊雲院の庭園にある石といえばどれか。
ア、紫雲石 イ、遺愛石 ウ、藤戸石 エ、登天石
↓解答はこちら
東福寺の塔頭霊雲院の庭園にある石といえばどれか。
ア、紫雲石 イ、遺愛石 ウ、藤戸石 エ、登天石
↓解答はこちら
【第310問】
<解答> イ、遺愛石
<解説> 霊雲院は九山八海の庭で知られ、中央に須弥山を表す遺愛石が置かれている。この石は七世住職であった湘雪が肥後熊本出身で、藩主であった細川忠利に帰依をうけており、湘雪がこちらの住職に赴く時に送られたものである。その際、本来は細川家から500石を献じたいとの申し出に、湘雪は 「 出家してからの富貴は修行の妨げなり、ただ庭上の貴石を賜れば寺宝とせん 」 と答えたため、細川家が須弥台と石舟を作って送ったという。
紫雲石は金戒光明寺の塔頭西雲院にある石で、法然上人が比叡山を下山してこの石に座って念仏を唱えると、急に紫の雲が立ちこめた逸話から名がついた。藤戸石は源平の合戦の逸話から生まれ、その後は天下人が持つとされた名石で、足利義政の東山殿、細川家屋敷、二条御所 ( 信長が石を運んだ ) 、聚楽第と渡り、現在は醍醐寺三宝院に据えられている。登天石は水火天満宮の境内にある。平安時代、菅原道真の怨霊を鎮めるべく、匠と仰がれていた法正坊尊意 ( ほっしょうぼうそんい ) が招かれたが、僧正が宮中に向かう際、鴨川の水が溢れ出した。そこで僧正が数珠をひと揉みすると、川の水が真っ二つに分かれ、石の上に道真が現れたが消え去ったという。その石は供養され、現在の登天石となったとされる。(2級)
<補足・コメント> 今回の設問は、寺院の範疇でもあるが、登天石をはじめ逸話が多いので、伝説のあるカテゴリーに入れた。遺愛石や紫雲石はテキスト外なので難易度が高い。霊雲院はテキストでは妙心寺の霊雲院 ( 元信寺 ) が掲載されている。同名の寺院であるため間違えないようにしたい。ちなみに妙心寺の霊雲院は非公開寺院であるが、東福寺の霊雲院は常時公開中である。
<解答> イ、遺愛石
<解説> 霊雲院は九山八海の庭で知られ、中央に須弥山を表す遺愛石が置かれている。この石は七世住職であった湘雪が肥後熊本出身で、藩主であった細川忠利に帰依をうけており、湘雪がこちらの住職に赴く時に送られたものである。その際、本来は細川家から500石を献じたいとの申し出に、湘雪は 「 出家してからの富貴は修行の妨げなり、ただ庭上の貴石を賜れば寺宝とせん 」 と答えたため、細川家が須弥台と石舟を作って送ったという。
紫雲石は金戒光明寺の塔頭西雲院にある石で、法然上人が比叡山を下山してこの石に座って念仏を唱えると、急に紫の雲が立ちこめた逸話から名がついた。藤戸石は源平の合戦の逸話から生まれ、その後は天下人が持つとされた名石で、足利義政の東山殿、細川家屋敷、二条御所 ( 信長が石を運んだ ) 、聚楽第と渡り、現在は醍醐寺三宝院に据えられている。登天石は水火天満宮の境内にある。平安時代、菅原道真の怨霊を鎮めるべく、匠と仰がれていた法正坊尊意 ( ほっしょうぼうそんい ) が招かれたが、僧正が宮中に向かう際、鴨川の水が溢れ出した。そこで僧正が数珠をひと揉みすると、川の水が真っ二つに分かれ、石の上に道真が現れたが消え去ったという。その石は供養され、現在の登天石となったとされる。(2級)
<補足・コメント> 今回の設問は、寺院の範疇でもあるが、登天石をはじめ逸話が多いので、伝説のあるカテゴリーに入れた。遺愛石や紫雲石はテキスト外なので難易度が高い。霊雲院はテキストでは妙心寺の霊雲院 ( 元信寺 ) が掲載されている。同名の寺院であるため間違えないようにしたい。ちなみに妙心寺の霊雲院は非公開寺院であるが、東福寺の霊雲院は常時公開中である。
Posted by きょうすけ at 13:24│Comments(0)
│生活・行事