2008年07月19日
第210問
【第210問】
次のうち、北野天満宮にかかわった人物でないのはどれか。
ア、 出雲の阿国 イ、豊臣秀吉 ウ、片桐且元 エ、世阿弥
↓ 解答はこちら
次のうち、北野天満宮にかかわった人物でないのはどれか。
ア、 出雲の阿国 イ、豊臣秀吉 ウ、片桐且元 エ、世阿弥
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【第210問】
< 解答 > エ、世阿弥
< 解説 > 世阿弥は父の観阿弥とともに、大和猿楽四座の一つ、結城座の出身で、応安7 ( 1374 ) 年、新熊野神社で足利義満の前で演じたことがきっかけで、庇護を受けることとなり、能を芸術の域まで高めた。
出雲の阿国が歌舞伎を始めたのは、北野天満宮が最初とされる。豊臣秀吉は、天正15 ( 1587 ) 年、北野天満宮で大茶会を開いた。取り仕切ったのは千利休であった。秀吉亡き後、慶長12 ( 1607 ) 年、豊臣秀頼は北野天満宮の再建を片桐且元に命じて行わせた。現在の社殿はこのとき作られている。(3級)
<一言> 片桐且元は 「 賤ヶ岳七本槍 」 の一人。この後、徳川と豊臣の間を取り持つことに奔走するが、最終的には豊臣から疑いの目をかけられ無念のうちに豊臣家を去った。
< 解答 > エ、世阿弥
< 解説 > 世阿弥は父の観阿弥とともに、大和猿楽四座の一つ、結城座の出身で、応安7 ( 1374 ) 年、新熊野神社で足利義満の前で演じたことがきっかけで、庇護を受けることとなり、能を芸術の域まで高めた。
出雲の阿国が歌舞伎を始めたのは、北野天満宮が最初とされる。豊臣秀吉は、天正15 ( 1587 ) 年、北野天満宮で大茶会を開いた。取り仕切ったのは千利休であった。秀吉亡き後、慶長12 ( 1607 ) 年、豊臣秀頼は北野天満宮の再建を片桐且元に命じて行わせた。現在の社殿はこのとき作られている。(3級)
<一言> 片桐且元は 「 賤ヶ岳七本槍 」 の一人。この後、徳川と豊臣の間を取り持つことに奔走するが、最終的には豊臣から疑いの目をかけられ無念のうちに豊臣家を去った。
Posted by きょうすけ at 10:03│Comments(0)
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