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2008年06月07日

第168問

【第168問】
隨心院の金剛薩埵坐像の作者は誰か。

ア、 運慶  イ、快慶 ウ、湛慶  エ、康勝

↓ 解答はこちら

【第168問】

< 解答 >  イ、快慶

< 解説 >  鎌倉時代入ると慶派の仏師が出現し、彫刻界に新風をもたらした。それまで京都では、平安末期の白河天皇以来、円派や院派といった仏師が活躍していて、貴族の支持を集めていた。
 慶派は当初、東国でも作品を造り、源頼朝や北条時政に認められ、次第に頭角を現す。円派や院派が優美で穏やかな定朝様式の流れを汲み、模倣に陥ち入りかけていたのに対し、奈良に拠点をおいた慶派は写実的で力強い作風であったため、東国武士の支持を得たと考えられる。
 慶派を率いた運慶は、東大寺南大門の金剛力士像の全体の指揮をとり、快慶は隨心院の金剛薩埵坐像の他、千本釈迦堂の十大弟子立像などを残した。また運慶の長男湛慶は三十三間堂の千手千眼観音坐像 (全体の指揮も執った) 、運慶の四男康勝は空也上人像などが代表作である。(2級)

<一言> 個人的には奈良の興福寺国宝館にある康弁( 運慶の三男:諸説有 )の 「 点灯鬼・竜灯鬼 」 が好きです。小さいのにあのスケールの大きさ、迫力、まさに天才的!(検定ではでません^^;)

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Posted by きょうすけ at 09:32│Comments(0)芸術・文化
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