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2008年05月24日

第154問

【第154問】
平安末期、源氏方の武将であった熊谷次郎直実とはかかわりのない寺院はどこか。

ア、 南禅寺  イ、勝林院 ウ、専定寺  エ、金戒光明寺

↓ 解答はこちら

【第154問】

< 解答 >  ア、南禅寺

< 解説 >  熊谷次郎直実は坂東武士の典型的人物。源平合戦の中の 「 一の谷の戦い 」 で鵯越に慌てふためいて逃げる平氏の中で、ひと際きらびやかな飾りをまとった武者を呼びとめ、戦いを挑んだ。しかし殺す直前に、相手が高名な平敦盛であり、その歳頃が自分の息子と同じくらいだと知った直実は逃がそうするが、追っ手が迫ってきたため、泣く泣く首を切り落とし、以後無常を感じて出家したのであった。
 その出家を決意して、自らの鎧を脱いで掛けたとされる 「 鎧掛けの松 」 があるのが金戒光明寺である。出家して法然上人の弟子となった直実は、勝林院で行われた大原問答にも法然上人に付き従った。その際、師匠の身に何かあればと、衣の袖に隠し持った鉈 (なた) を法然上人が見破って捨てさせたという 「 鉈すて薮 」 の跡が勝林院前に残っている。また直実を訪ねようとしていた専定という法師が休んでいると2羽の烏がこずえにとまって、「 今日は蓮生坊(直実のこと)が亡くなる日だ 」と話ていたのを耳にし、不思議に思って訪ねていくと果して、その同日同時刻に亡くなっていたことがわかり、その烏の話を聞いた場所に寺を開いたのが専定寺で、通称 「 烏寺 」 と呼ばれている。
 南禅寺は武家面と称される寺院であるが、直実とは直接の関係は見当たらない。

<一言> 現在の鳩居堂 ( 寺町姉小路北西角 ) は熊谷次郎直実の子孫である。

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