2016年10月29日
第3280問
【第3280問】
徳川家康が短期間で造営を命じた二条城の大工頭といえば誰か。
ア、板倉勝重 イ、中井正清 ウ、小堀遠州 エ、藤堂高虎
↓解答はこちら
徳川家康が短期間で造営を命じた二条城の大工頭といえば誰か。
ア、板倉勝重 イ、中井正清 ウ、小堀遠州 エ、藤堂高虎
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【第3280問】
<解答> イ、中井正清
<解説> 中井家はもともと武士であったが、仕えていた家が没落したことから奈良で大工の仕事へ転身し、頭角を現した中井正清 ( なかいまさきよ ) は、豊臣秀吉の聚楽第や方広寺の建築に関わった。その後、徳川家康が政権を取ると、正清は二条城の大工頭に抜擢され、詳細な城内図と見事な差配によって、約1年で二条城を造営した。その後も、名古屋城、駿府城、江戸城の町割り、日光東照宮、増上寺など大きな仕事を次々と任された。
二条城を造営の際に京都所司代を務めていたのが板倉勝重であり、二条城の二の丸庭園の造営に携わったのが小堀遠州であり、二条城の縄張りを行ったのが藤堂高虎である。(3級)
<解答> イ、中井正清
<解説> 中井家はもともと武士であったが、仕えていた家が没落したことから奈良で大工の仕事へ転身し、頭角を現した中井正清 ( なかいまさきよ ) は、豊臣秀吉の聚楽第や方広寺の建築に関わった。その後、徳川家康が政権を取ると、正清は二条城の大工頭に抜擢され、詳細な城内図と見事な差配によって、約1年で二条城を造営した。その後も、名古屋城、駿府城、江戸城の町割り、日光東照宮、増上寺など大きな仕事を次々と任された。
二条城を造営の際に京都所司代を務めていたのが板倉勝重であり、二条城の二の丸庭園の造営に携わったのが小堀遠州であり、二条城の縄張りを行ったのが藤堂高虎である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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