2016年10月27日
第3278問
【第3278問】
天台三門跡寺院である妙法院は誰の寄進を受けて復興したか。
ア、織田信長 イ、豊臣秀吉 ウ、藤堂高虎 エ、小早川秀秋
↓解答はこちら
天台三門跡寺院である妙法院は誰の寄進を受けて復興したか。
ア、織田信長 イ、豊臣秀吉 ウ、藤堂高虎 エ、小早川秀秋
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【第3278問】
<解答> イ、豊臣秀吉
<解説> 妙法院は、永暦元 ( 1160 ) 年に後白河法皇が新熊野神社を勧請する際に西塔本覚院 ( さいとうほんがくいん ) の昌雲 ( しょううん ) が別当となって法住寺付近に創建した。鎌倉初期には尊性 ( そんしょう ) 法親王が入寺して以来、三千院、青蓮院とともに天台三門跡に数えられた。その後、戦乱によって焼失したが、豊臣秀吉が方広寺を建立した際には経堂となり、寄進をうけて復興した。
織田信長が寄進したひとつが石清水八幡宮であり、信長塀や黄金の樋が残されている。藤堂高虎が大坂の陣の戦死者を弔うために寄進したのが南禅寺の三門である。小早川秀秋が本堂を寄進したのが嵯峨野の常寂光寺である。(3級)
<解答> イ、豊臣秀吉
<解説> 妙法院は、永暦元 ( 1160 ) 年に後白河法皇が新熊野神社を勧請する際に西塔本覚院 ( さいとうほんがくいん ) の昌雲 ( しょううん ) が別当となって法住寺付近に創建した。鎌倉初期には尊性 ( そんしょう ) 法親王が入寺して以来、三千院、青蓮院とともに天台三門跡に数えられた。その後、戦乱によって焼失したが、豊臣秀吉が方広寺を建立した際には経堂となり、寄進をうけて復興した。
織田信長が寄進したひとつが石清水八幡宮であり、信長塀や黄金の樋が残されている。藤堂高虎が大坂の陣の戦死者を弔うために寄進したのが南禅寺の三門である。小早川秀秋が本堂を寄進したのが嵯峨野の常寂光寺である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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