2016年06月22日
第3152問
【第3152問】
坂本龍馬が海援隊京都本部を置いていた場所はどこか。
ア、近江屋 イ、寺田屋 ウ、池田屋 エ、酢屋
↓解答はこちら
坂本龍馬が海援隊京都本部を置いていた場所はどこか。
ア、近江屋 イ、寺田屋 ウ、池田屋 エ、酢屋
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【第3152問】
<解答> エ、酢屋
<解説> 二条から伏見に流れる高瀬川沿いに伸びるエリアは、材木商が軒を連ねたため木屋町と呼ばれ、酢屋 ( すや ) はこのあたり一帯の代表的存在であった。幕末当時は6代目の酢屋嘉兵衛が切り盛りしており、日本の為に奔走する龍馬に共感して自宅の一室を海援隊の事務所として提供した。残念ながら近江屋に移り住んだ数日後に龍馬は刺客に襲われ絶命したが、その後も酢屋は商いを続け、明治、大正、昭和とこの界隈が繁華街となっていく中で家業を営み続け、10代目の現在に至るまで、龍馬が暮らした当時の場所で、当時の外観を保ち続けている。
近江屋は坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた場所であり、寺田屋は坂本龍馬が定宿としていた場所であり、池田屋は新選組が尊攘派の一派を襲撃するべく討ちいった場所である。(3級)
<解答> エ、酢屋
<解説> 二条から伏見に流れる高瀬川沿いに伸びるエリアは、材木商が軒を連ねたため木屋町と呼ばれ、酢屋 ( すや ) はこのあたり一帯の代表的存在であった。幕末当時は6代目の酢屋嘉兵衛が切り盛りしており、日本の為に奔走する龍馬に共感して自宅の一室を海援隊の事務所として提供した。残念ながら近江屋に移り住んだ数日後に龍馬は刺客に襲われ絶命したが、その後も酢屋は商いを続け、明治、大正、昭和とこの界隈が繁華街となっていく中で家業を営み続け、10代目の現在に至るまで、龍馬が暮らした当時の場所で、当時の外観を保ち続けている。
近江屋は坂本龍馬と中岡慎太郎が襲われた場所であり、寺田屋は坂本龍馬が定宿としていた場所であり、池田屋は新選組が尊攘派の一派を襲撃するべく討ちいった場所である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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