2016年04月20日
第3089問
【第3089問】
徳川秀忠の菩提を弔うために建立された三重塔を持つ寺院はどこか。
ア、清水寺 イ、真如堂 ウ、金戒光明寺 エ、岩船寺
↓解答はこちら
徳川秀忠の菩提を弔うために建立された三重塔を持つ寺院はどこか。
ア、清水寺 イ、真如堂 ウ、金戒光明寺 エ、岩船寺
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【第3089問】
<解答> ウ、金戒光明寺
<解説> 金戒光明寺 ( こんかいこうみょうじ ) は、比叡山を下りた法然上人が、承安5 ( 1175 ) 年にこの地に念仏道場を開いたのが起こりである。法然の亡くなった後に、紫雲山光明寺となり、後光厳天皇から 「 金戒 」 の文字を賜って現在の名前となった。伽藍は応仁の乱以降、度々火災で焼失するがその都度復興され、幕末には京都守護職を任命された会津藩が1000余名の藩兵を率いて入洛し、こちらに本陣を構えた。境内には熊谷直実の 「 鎧掛けの松 」 や、平敦盛、熊谷直実の墓、徳川秀忠の菩提を弔うために建立された三重塔、紫雲石を持つ西雲院、会津藩墓地など見所が点在している。
清水寺の三重塔は西門の裏側と、塔頭の泰産寺内と2つ建っており、どちらも重要文化財に指定されている。真如堂の三重塔は本堂前に建ち、文化14 ( 1817 ) に再建されたものである。岩船寺の三重塔は本堂横、少し高台になった場所建ち、重要文化財に指定されている。(2級)
<解答> ウ、金戒光明寺
<解説> 金戒光明寺 ( こんかいこうみょうじ ) は、比叡山を下りた法然上人が、承安5 ( 1175 ) 年にこの地に念仏道場を開いたのが起こりである。法然の亡くなった後に、紫雲山光明寺となり、後光厳天皇から 「 金戒 」 の文字を賜って現在の名前となった。伽藍は応仁の乱以降、度々火災で焼失するがその都度復興され、幕末には京都守護職を任命された会津藩が1000余名の藩兵を率いて入洛し、こちらに本陣を構えた。境内には熊谷直実の 「 鎧掛けの松 」 や、平敦盛、熊谷直実の墓、徳川秀忠の菩提を弔うために建立された三重塔、紫雲石を持つ西雲院、会津藩墓地など見所が点在している。
清水寺の三重塔は西門の裏側と、塔頭の泰産寺内と2つ建っており、どちらも重要文化財に指定されている。真如堂の三重塔は本堂前に建ち、文化14 ( 1817 ) に再建されたものである。岩船寺の三重塔は本堂横、少し高台になった場所建ち、重要文化財に指定されている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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