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2016年04月10日

第3079問

【第3079問】
羽柴秀吉と明智光秀が激突した 「 天王山の戦い 」 において、いち早く天王山に陣を構えて戦いを秀吉有利に導いた武将は誰か。

ア、池田恒興  イ、黒田官兵衛  ウ、丹羽長秀  エ、中川清秀

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【第3079問】

<解答>  イ、黒田官兵衛

<解説>  「 本能寺の変 」 をいち早く知った羽柴秀吉は、対峙していた毛利軍と和睦し、伝説の 「 中国大返し 」 を行った。そのスピードに明智光秀は驚き、援軍を募ることができないまま、ほぼ直属軍で山崎にて2倍以上となる秀吉軍を迎えることとなった。狭い山崎の地域では大軍の展開は困難であり、すぐ横にそびえていた天王山を抑えた方が戦局を有利に進めることができたため、秀吉軍の軍師であった黒田官兵衛と豊臣秀長は、この山麓を即座に抑え、戦局を有利に導いた。
  池田恒興 ( いけだつねおき ) は、天王山からは最も遠い反対側に布陣して明智軍の横腹をつくことに成功し、勝利に大きく貢献した。丹羽長秀 ( にわながひで ) は、秀吉の先輩格であったことから総大将に推されたが辞退し、秀吉軍の中核の一翼を担っていた。中川清秀 ( なかがわきよひで ) は、明智光秀の与力であったが秀吉軍に参陣し、高山右近とともに最前線で戦った。(2級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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