2016年04月09日
第3078問
【第3078問】
桂小五郎とともに長州藩の政局の中心人物となり、禁門の変においては、鷹司邸にて自刃したのは誰か。
ア、来島又兵衛 イ、吉田稔麿 ウ、真木和泉 エ、久坂玄瑞
↓解答はこちら
桂小五郎とともに長州藩の政局の中心人物となり、禁門の変においては、鷹司邸にて自刃したのは誰か。
ア、来島又兵衛 イ、吉田稔麿 ウ、真木和泉 エ、久坂玄瑞
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【第3078問】
<解答> エ、久坂玄瑞
<解説> 久坂玄瑞は藩医のもとに生まれ、松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けて頭角を現すと、長州藩の尊皇攘夷派を束ねる存在として内外に知られるようになった。京都での活躍は、島原の角屋前に残る石碑に示されている。 「 禁門の変 」 においては、長州を出立して、京都近郊へ着くと、朝敵となることを危惧して入洛を自重し、水面下での交渉に務めたが、来島又兵衛 ( きじままたべえ ) や真木和泉 ( まきいずみ ) らの強硬派に押される形でついに御所へ攻め入ることとなった。戦局は蛤御門での来島隊の敗戦により大勢が決定し、遅れて堺町御門に到着した久坂玄瑞は、懇意の鷹司家に頼って朝廷とのとりなしを願ったがそれも叶わず、もはやここまでと寺島忠三郎と刺し違えて果てた。
吉田稔麿 ( よしだとしまろ ) は久坂玄瑞とともに松下村塾の俊才であったが、禁門の変に先立つ池田屋事変で、新選組に襲われて戦死した。(3級)
<解答> エ、久坂玄瑞
<解説> 久坂玄瑞は藩医のもとに生まれ、松下村塾で吉田松陰の薫陶を受けて頭角を現すと、長州藩の尊皇攘夷派を束ねる存在として内外に知られるようになった。京都での活躍は、島原の角屋前に残る石碑に示されている。 「 禁門の変 」 においては、長州を出立して、京都近郊へ着くと、朝敵となることを危惧して入洛を自重し、水面下での交渉に務めたが、来島又兵衛 ( きじままたべえ ) や真木和泉 ( まきいずみ ) らの強硬派に押される形でついに御所へ攻め入ることとなった。戦局は蛤御門での来島隊の敗戦により大勢が決定し、遅れて堺町御門に到着した久坂玄瑞は、懇意の鷹司家に頼って朝廷とのとりなしを願ったがそれも叶わず、もはやここまでと寺島忠三郎と刺し違えて果てた。
吉田稔麿 ( よしだとしまろ ) は久坂玄瑞とともに松下村塾の俊才であったが、禁門の変に先立つ池田屋事変で、新選組に襲われて戦死した。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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