2016年02月15日
第3024問
【第3024問】
石田三成の家来として活躍し、立本寺に墓がある武将といえばだれか。
ア、後藤又兵衛 イ、島左近 ウ、斎藤利三 エ、山中鹿之助
↓解答はこちら
石田三成の家来として活躍し、立本寺に墓がある武将といえばだれか。
ア、後藤又兵衛 イ、島左近 ウ、斎藤利三 エ、山中鹿之助
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【第3024問】
<解答> イ、島左近
<解説> 島左近は筒井氏に仕えた後、豊臣政権の中で重要な職務を任されていた石田三成の家臣となった。勇猛果敢でありながら、冷静沈着でもあり、弱兵であった石田軍を短期間で死を恐れない戦闘集団に鍛え上げた。関ヶ原の戦いでは西軍を指揮した石田三成を盛り立てて勇戦するものの、衆寡敵せず敵方の銃弾に倒れたとされている。その存在は 「 三成に過ぎたるものがふたつあり 島の左近に佐和山の城 」 と謳われた。一説には関ヶ原の戦いで死を免れ、晩年は立本寺の教法院にて余生を過ごしたともされ、立本寺には島左近の墓も残されている。
後藤又兵衛は黒田長政に仕えた武将で、関ヶ原の合戦以降は黒田家を出奔し、大坂の陣では豊臣側に参戦して戦死した。斎藤利三 ( さいとうとしみつ ) は明智光秀の家臣として本能寺の変を差配し、大山崎の合戦の後に捕えられて斬首され、真如堂に葬られた。山中鹿之助は尼子勝久に仕えた武将で、尼子再興を夢見て戦ったが武運拙く殺害され、本満寺に葬られた。(3級)
<解答> イ、島左近
<解説> 島左近は筒井氏に仕えた後、豊臣政権の中で重要な職務を任されていた石田三成の家臣となった。勇猛果敢でありながら、冷静沈着でもあり、弱兵であった石田軍を短期間で死を恐れない戦闘集団に鍛え上げた。関ヶ原の戦いでは西軍を指揮した石田三成を盛り立てて勇戦するものの、衆寡敵せず敵方の銃弾に倒れたとされている。その存在は 「 三成に過ぎたるものがふたつあり 島の左近に佐和山の城 」 と謳われた。一説には関ヶ原の戦いで死を免れ、晩年は立本寺の教法院にて余生を過ごしたともされ、立本寺には島左近の墓も残されている。
後藤又兵衛は黒田長政に仕えた武将で、関ヶ原の合戦以降は黒田家を出奔し、大坂の陣では豊臣側に参戦して戦死した。斎藤利三 ( さいとうとしみつ ) は明智光秀の家臣として本能寺の変を差配し、大山崎の合戦の後に捕えられて斬首され、真如堂に葬られた。山中鹿之助は尼子勝久に仕えた武将で、尼子再興を夢見て戦ったが武運拙く殺害され、本満寺に葬られた。(3級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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