京つう

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2016年02月07日

第3016問

【第3016問】
幕末の鳥羽・伏見の戦いの銃弾が残る料亭はどこか。

ア、魚三楼  イ、京大和  ウ、明保野亭  エ、角屋

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【第3016問】

<解答>  ア、魚三楼

<解説>  魚三楼 ( うおさぶろう ) は明和元 ( 1764 ) 年の創業で、瀬戸内の魚や京野菜、酒造りにも適した伏見の豊富な水を使いながら、各藩の大名屋敷の料理方などを務め、現在も伏見を代表する料亭として知られている。幕末には、店の前の通りである京町通に新選組が布陣して薩摩軍に戦いを挑んだとされ、その際についたとされる格子刻まれた銃痕が、当時の戦闘の激しさを生々しく伝えている。
  京大和 ( きょうやまと ) はかつての翠紅館 ( すいこうかん ) 跡に建つ料亭であり、幕末当時、翠紅館には公家の三条実美、土佐藩の武市半平太、坂本龍馬、長州藩の桂小五郎、井上聞多、久坂玄瑞、久留米藩の真木和泉などそうそうたるメンバーが集って時勢を論じ合い、具体的にどう動くかについて会議を重ねたとされる。明保野亭 ( あけぼのてい ) は幕末当時から料亭と旅館を兼ねており、坂本龍馬もよく滞在していたと伝わるほか、土佐藩と会津藩が対立した 「 明保野亭事件 」 の現場となった。角屋 ( すみや ) は、寛永18 ( 1641 ) 年に六条三筋町から現在地に移転し、花街・島原とともに揚屋として発展した。江戸中期には与謝蕪村ら俳諧の文化人のサロンともなり、幕末には長州藩の尊皇攘夷派を率いた久坂玄瑞や、壬生に拠点をおいた新選組なども頻繁に利用した。(2級)

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