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2016年02月06日

第3015問

【第3015問】
平安時代末期から鎌倉時代に誕生した武家町はどのあたりか。

ア、岡崎  イ、鷹峯  ウ、伏見  エ、六波羅

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【第3015問】

<解答>  エ、六波羅

<解説>  平安末期の白河天皇の時代、藤原氏の伸張を抑えるべく白河天皇は早々と上皇となって院政を行い、さらに西国地方に勢力を高め、武士団を統率していた平忠盛を重用することによって大きな権力を得た。とくに岡崎の地には法勝寺を建立し、その後も相次いで寺院が建立が続いた。  一方平忠盛は、一族の居住地を六波羅に置いて拠点としたため、六波羅は清盛の時代も含めて周辺には平家一門が軒を連ね、武家町として発展を遂げた。平家は都落ちする際に、これらの建物を焼き払ったが、次の鎌倉時代になっても、六波羅探題が置かれ、以前として武家町として存続した。
  鷹峯は、本阿弥光悦が徳川家康に土地を拝領して開いた村であり、光悦の親類縁者や工芸仲間も移り住んだことから後に 「 芸術村 」 と称された。伏見は平安時代は貴族の別荘地であり、その後は豊臣秀吉の伏見城築城がきっかけで城下町へと変貌を遂げた。江戸時代を通じて、京都の玄関口として栄え、明治以降は酒の産地として全国的に知られるようになった。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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