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2015年12月15日

第2962問

【第2962問】
豊臣秀吉が洛中洛外を分けるべく築いた壮大な建造物はどれか。

ア、御土居  イ、太閤塀  ウ、太閤堤  エ、聚楽第

解答はこちら

【第2962問】

<解答>  ア、御土居

<解説>  御土居 ( おどい ) は、豊臣秀吉が築いた土塁で、全長約22.5kmにも及び、洛中全域を取り囲む壮大な土塁であった。江戸時代に入ると次第に崩されはじめ、大正時代にはほとんどの御土居が撤去され、現在北野天満宮境内西側など、わずかに残る御土居は史跡として保護されている。
  太閤塀 ( たいこうべい ) は三十三間堂の南の塀として現存しており、併設されている南大門とともに破壊されなかった秀吉の遺構として貴重である。太閤堤 ( たいこうづつみ ) は宇治川右岸で発見され、巨椋池に流れ込んでいた宇治川を北へ伸ばして伏見まで導くために造られたことがわかっている。聚楽第 ( じゅらくだい ) は御所の西側、現在の二条城の北側に位置する広大な秀吉の屋敷であったが、秀吉存命中に徹底的に破壊されて多くが伏見城へと移された。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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