2015年09月30日
第2886問
【第2886問】
五摂家の中で御所の北西に大きな邸宅を構え、現在も跡地が桜の名所となっている家はどれか。
ア、近衛家 イ、一条家 ウ、鷹司家 エ、九条家
↓解答はこちら
五摂家の中で御所の北西に大きな邸宅を構え、現在も跡地が桜の名所となっている家はどれか。
ア、近衛家 イ、一条家 ウ、鷹司家 エ、九条家
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【第2886問】
<解答> ア、近衛家
<解説> 近衛家は、代々摂政・関白を務める五摂家の一つで、その筆頭格である。平安末期、藤原忠通の長男・近衛基実を祖とし、家名は邸宅を近衛殿と称したことによる。当時の近衛殿は、現在の京都御苑の北西にあって里内裏としても使用され、邸宅にちなむ近衛天皇の名が残されている。安土桃山時代には、天下統一を目指す羽柴秀吉が近衛前久の猶子として関白となった。江戸時代には博学の家系として名高く、昭和の戦前には近衛文麿が首相を務めている。明治維新後は邸宅は解体移築されたが、庭園の一部は池などを中心に現存し、周辺に植えられた枝垂桜は3月下旬に咲く種類が多く、京都の桜の早咲きの名所となっている。
一条家の邸宅も御所の北西にあったが、こちらは京都三名水の一つである県井(現在枯渇して使用不可)が残っているほか、山吹がきれいに咲く場所として知られている。鷹司家と九条家は堺町御門を挟んで東西に向いあっていた。鷹司家は石碑のみであるが、九条家は江戸後期の茶室である拾翠亭や庭園が現存している。(2級)
<解答> ア、近衛家
<解説> 近衛家は、代々摂政・関白を務める五摂家の一つで、その筆頭格である。平安末期、藤原忠通の長男・近衛基実を祖とし、家名は邸宅を近衛殿と称したことによる。当時の近衛殿は、現在の京都御苑の北西にあって里内裏としても使用され、邸宅にちなむ近衛天皇の名が残されている。安土桃山時代には、天下統一を目指す羽柴秀吉が近衛前久の猶子として関白となった。江戸時代には博学の家系として名高く、昭和の戦前には近衛文麿が首相を務めている。明治維新後は邸宅は解体移築されたが、庭園の一部は池などを中心に現存し、周辺に植えられた枝垂桜は3月下旬に咲く種類が多く、京都の桜の早咲きの名所となっている。
一条家の邸宅も御所の北西にあったが、こちらは京都三名水の一つである県井(現在枯渇して使用不可)が残っているほか、山吹がきれいに咲く場所として知られている。鷹司家と九条家は堺町御門を挟んで東西に向いあっていた。鷹司家は石碑のみであるが、九条家は江戸後期の茶室である拾翠亭や庭園が現存している。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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