2015年08月29日
第2854問
【第2854問】
六波羅蜜寺の前身となる寺院といえばどれか。
ア、西光寺 イ、棲霞寺 ウ、康徳寺 エ、出雲寺
↓解答はこちら
六波羅蜜寺の前身となる寺院といえばどれか。
ア、西光寺 イ、棲霞寺 ウ、康徳寺 エ、出雲寺
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【第2854問】
<解答> ア、西光寺
<解説> 六波羅蜜寺は、市の聖と敬われた空也が応和3 ( 963 ) 年に鴨川の東岸に一堂を建て、西光寺と称したのが起こり。当時疫病が蔓延していたため、空也は本尊とした十一面観音立像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也の死後、貞元2 ( 977 ) 年に中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末期には付近に平清盛ら平家一門の屋敷が営まれ、鎌倉時代には六波羅探題が置かれた。
棲霞寺は清凉寺の前身寺院であり、康徳寺は高台寺の前身寺院であり、出雲寺は毘沙門堂の前身寺院である。(2級)
<解答> ア、西光寺
<解説> 六波羅蜜寺は、市の聖と敬われた空也が応和3 ( 963 ) 年に鴨川の東岸に一堂を建て、西光寺と称したのが起こり。当時疫病が蔓延していたため、空也は本尊とした十一面観音立像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也の死後、貞元2 ( 977 ) 年に中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末期には付近に平清盛ら平家一門の屋敷が営まれ、鎌倉時代には六波羅探題が置かれた。
棲霞寺は清凉寺の前身寺院であり、康徳寺は高台寺の前身寺院であり、出雲寺は毘沙門堂の前身寺院である。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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