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2015年06月19日

第2784問

【第2784問】
織田信長が亡くなった本能寺の変の際、信長が造営した二条御所に住んでいたのは誰か。

ア、正親町天皇  イ、誠仁親王  ウ、後陽成天皇  エ、八条宮智仁親王

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【第2784問】

<解答>  ア、正親町天皇

<解説>  織田信長が上洛を始めたころの天皇は正親町天皇であり、その後継者が子である誠仁親王 ( さねひとしんのう ) であった。本能寺の変の際は、誠仁親王は信長が造営した二条御所に住んでおり、信長の子である信忠が宿泊していた妙覚寺から明智光秀と戦うために、二条御所に急遽入ったことから誠仁親王の身に危険が生じることとなった。信忠は攻めてきた光秀に交渉し、いったん休戦して誠仁親王を御所へと逃がし、その上で光秀と戦いを再開したという。結果的には信忠は敗れ、26歳の若さで自刃した。のちに正親町天皇はこのことへの感謝もあり、信忠の菩提寺である大雲院を建立するように勅命を下している。
  後陽成天皇は正親町天皇の孫であり、父の誠仁親王の急死によって即位した。秀吉政権下で在位を保ち、自分の子ではなく弟の八条宮智仁親王 ( はちじょうのみやとしひとしんのう ) に譲位したいと考えていたが、最終的には八条宮智仁親王には秀吉の猶子という経歴があったことから、徳川家の反対にあい、子の一人であった後水尾天皇に譲位した。(2級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(1)歴史・史跡
この記事へのコメント
問題文が少し変です。
信長が造営しあ二条御所に住んでいたのは誰かではなく、
信長が造営した二条御所に住んでいたのは誰かだと思います。
Posted by ビッグパパ at 2015年06月21日 06:48
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