2015年06月01日
第2766問
【第2766問】
次のうち伝説の 「 撞かずの鐘 」 があることで知られる寺院はどこか。
ア、妙満寺 イ、方広寺 ウ、報恩寺 エ、妙心寺
↓解答はこちら
次のうち伝説の 「 撞かずの鐘 」 があることで知られる寺院はどこか。
ア、妙満寺 イ、方広寺 ウ、報恩寺 エ、妙心寺
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【第2766問】
<解答> ウ、報恩寺
<解説> 報恩寺は、後柏原天皇の勅旨で、文亀元 ( 1501 ) 年に慶誉が再興して浄土宗寺院となり、天正年間 ( 1573 ~ 92 ) に現在地に移った。豊臣秀吉が寺宝の虎の図を聚楽第に持ち帰ったものの、夜毎吠えて眠れず寺に返したという 「 鳴虎図 」 があり、現在は寅年の正月三が日のみ公開されている。境内に残る梵鐘は、平安末期の作で、織子と丁稚が鐘の撞く数を争って織子が敗れ、悲しさと悔しさから首をつって息絶えた逸話が残っており、以来撞かれなくなったことから 「 撞かずの鐘 」 と呼ばれている。
妙満寺の鐘は 「 安珍と清姫の鐘 」 と呼ばれており、方広寺の鐘は 「 国家安康君臣豊楽の鐘 」 と呼ばれており、妙心寺の鐘は 「 黄鐘調の鐘 」 と呼ばれている。(2級)
<解答> ウ、報恩寺
<解説> 報恩寺は、後柏原天皇の勅旨で、文亀元 ( 1501 ) 年に慶誉が再興して浄土宗寺院となり、天正年間 ( 1573 ~ 92 ) に現在地に移った。豊臣秀吉が寺宝の虎の図を聚楽第に持ち帰ったものの、夜毎吠えて眠れず寺に返したという 「 鳴虎図 」 があり、現在は寅年の正月三が日のみ公開されている。境内に残る梵鐘は、平安末期の作で、織子と丁稚が鐘の撞く数を争って織子が敗れ、悲しさと悔しさから首をつって息絶えた逸話が残っており、以来撞かれなくなったことから 「 撞かずの鐘 」 と呼ばれている。
妙満寺の鐘は 「 安珍と清姫の鐘 」 と呼ばれており、方広寺の鐘は 「 国家安康君臣豊楽の鐘 」 と呼ばれており、妙心寺の鐘は 「 黄鐘調の鐘 」 と呼ばれている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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