2015年04月11日
第2715問
【第2715問】
鹿ケ谷の陰謀で参加したにもかかわらず平家に密告した人物は誰か。
ア、源頼光 イ、源行綱 ウ、源頼政 エ、源義家
↓解答はこちら
鹿ケ谷の陰謀で参加したにもかかわらず平家に密告した人物は誰か。
ア、源頼光 イ、源行綱 ウ、源頼政 エ、源義家
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【第2715問】
<解答> イ、源行綱
<解説> 源行綱は多田源氏の一族で、平安末期に俊寛僧都の別荘で行われた 「 鹿ケ谷の陰謀 」 に武士で唯一呼ばれたとされる。この陰謀の黒幕には後白河法皇がおり、西光法師、平判官康頼、藤原成親・成経親子などが参加した宴席は、盛り上がって平家を倒す機運に満ちたものとなった。当然ながら一座の期待は、武士として参加していた源行綱に向けられ、恐れおののいて退出した行綱は、宴席後に平家の屋敷に駆け込んで事の次第を密告し、その結果、後白河法皇以外の主だったものはすべて処刑または島流しとなった。行綱の密告によって平家は未然に反乱を防げた形となったが、平清盛は密告した行綱を優遇しなかったという。その後、行綱は平家一門の都落ちの際には、木曽義仲に連動して源氏側で平家に対して対抗し、源義経が指揮をとった平家追討にも活躍している。
他の選択肢もすべて源氏として活躍した武士である。源経基から始まった清和源氏は、子の満仲の代に摂津に拠点を広げ、武勇で聞こえた源頼光と源頼信の代には河内にも勢力を広げた。河内源氏としてさらに名を挙げたのが、頼信の孫にあたる源義家である。(2級)
<解答> イ、源行綱
<解説> 源行綱は多田源氏の一族で、平安末期に俊寛僧都の別荘で行われた 「 鹿ケ谷の陰謀 」 に武士で唯一呼ばれたとされる。この陰謀の黒幕には後白河法皇がおり、西光法師、平判官康頼、藤原成親・成経親子などが参加した宴席は、盛り上がって平家を倒す機運に満ちたものとなった。当然ながら一座の期待は、武士として参加していた源行綱に向けられ、恐れおののいて退出した行綱は、宴席後に平家の屋敷に駆け込んで事の次第を密告し、その結果、後白河法皇以外の主だったものはすべて処刑または島流しとなった。行綱の密告によって平家は未然に反乱を防げた形となったが、平清盛は密告した行綱を優遇しなかったという。その後、行綱は平家一門の都落ちの際には、木曽義仲に連動して源氏側で平家に対して対抗し、源義経が指揮をとった平家追討にも活躍している。
他の選択肢もすべて源氏として活躍した武士である。源経基から始まった清和源氏は、子の満仲の代に摂津に拠点を広げ、武勇で聞こえた源頼光と源頼信の代には河内にも勢力を広げた。河内源氏としてさらに名を挙げたのが、頼信の孫にあたる源義家である。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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