2015年02月25日
第2670問
【第2670問】
戦国武将の黒田長政が、関ヶ原の合戦で内兜に収めて戦った毘沙門天はどこに祀られてるか。
ア、両足院 イ、鞍馬寺 ウ、華光寺 エ、勝林寺
↓解答はこちら
戦国武将の黒田長政が、関ヶ原の合戦で内兜に収めて戦った毘沙門天はどこに祀られてるか。
ア、両足院 イ、鞍馬寺 ウ、華光寺 エ、勝林寺
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【第2670問】
<解答> ア、両足院
<解説> 両足院は、建仁寺の開山・栄西禅師の法脈・黄龍派 ( おうりょうは ) を受け継ぐ龍山徳見 ( りゅうざんとっけん ) 禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院である。室町中期まで五山文学の最高峰の寺院であり、江戸時代に入っても、住持が五山の中で学徳抜群の高僧に与えられ最高の名誉とされる 「 碩学禄 」 を授与されたこともあり、 「 学問面 」 と称される建仁寺の本流を担った。通常非公開であるが、半夏生が咲く時期に毎年定期的に公開されている。その他に境内には常時参拝が可能である毘沙門天を祀るお堂があり、かつては鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏であった毘沙門天が祀られている。こちらは戦国時代に比叡山延暦寺が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が安全のために、比喜多養清 ( のちに筑前黒田家京都御用達を務める ) のところへ疎開させ、その後、関ヶ原の戦いで黒田長政が、東軍として出陣する際に内兜に収めて奮戦し、黒田家で信仰されていたが、明治維新を経て明治10年ごろこちらに寄進されたものである。
華光寺 ( けこうじ ) は 「 出水七不思議 」 に数えられる時雨松と五色椿があった寺院であり、 「 出水の毘沙門さん 」 と呼ばれているように本尊に毘沙門天を祀っている。勝林寺は東福寺の鬼門を守る位置にあり、本尊に東福寺の仏殿の天井裏で発見された平安後期の毘沙門天を祀っている。(2級)
<解答> ア、両足院
<解説> 両足院は、建仁寺の開山・栄西禅師の法脈・黄龍派 ( おうりょうは ) を受け継ぐ龍山徳見 ( りゅうざんとっけん ) 禅師を開山とする臨済宗建仁寺派の塔頭寺院である。室町中期まで五山文学の最高峰の寺院であり、江戸時代に入っても、住持が五山の中で学徳抜群の高僧に与えられ最高の名誉とされる 「 碩学禄 」 を授与されたこともあり、 「 学問面 」 と称される建仁寺の本流を担った。通常非公開であるが、半夏生が咲く時期に毎年定期的に公開されている。その他に境内には常時参拝が可能である毘沙門天を祀るお堂があり、かつては鞍馬寺の毘沙門天の胎内仏であった毘沙門天が祀られている。こちらは戦国時代に比叡山延暦寺が織田信長によって焼き討ちにあった際、鞍馬の僧が安全のために、比喜多養清 ( のちに筑前黒田家京都御用達を務める ) のところへ疎開させ、その後、関ヶ原の戦いで黒田長政が、東軍として出陣する際に内兜に収めて奮戦し、黒田家で信仰されていたが、明治維新を経て明治10年ごろこちらに寄進されたものである。
華光寺 ( けこうじ ) は 「 出水七不思議 」 に数えられる時雨松と五色椿があった寺院であり、 「 出水の毘沙門さん 」 と呼ばれているように本尊に毘沙門天を祀っている。勝林寺は東福寺の鬼門を守る位置にあり、本尊に東福寺の仏殿の天井裏で発見された平安後期の毘沙門天を祀っている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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