2015年02月20日
第2665問
【第2665問】
絵師の伊藤若冲の名付け親であり、若冲が慕った相国寺の住職は誰か。
ア、大典顕常 イ、西笑承兌 ウ、高遊外 エ、春屋宗園
↓解答はこちら
絵師の伊藤若冲の名付け親であり、若冲が慕った相国寺の住職は誰か。
ア、大典顕常 イ、西笑承兌 ウ、高遊外 エ、春屋宗園
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【第2665問】
<解答> ア、大典顕常
<解説> 大典顕常 ( だいてんけんじょう ) は相国寺の住持を務めながらも詩文に傾倒し、池大雅に教えるほどの実力を兼ね備えていた。高遊外の提唱した煎茶道にも賛同してその人生の記録を残し、さらには伊藤若冲を支援したことで相国寺に貴重な若冲の作品を残した。 「 若冲 」 の名は大典顕常が与えたものとされている。
西笑承兌 ( さいしょうじょうたい ) も戦国時代から江戸時代にかけて相国寺の住持を務め、豊臣秀吉や徳川家康の顧問的役割を務め、戦乱などで荒廃していた伽藍を復興に導いた。春屋宗園 ( しゅおんおくそうえん ) は安土桃山時代の大徳寺の住持で、三玄院や龍光院の開山となり、今井宗久・千利休などの茶人と交わったほか、千宗旦の得度を行い、沢庵宗彭などの弟子も育てた。(2級)
<解答> ア、大典顕常
<解説> 大典顕常 ( だいてんけんじょう ) は相国寺の住持を務めながらも詩文に傾倒し、池大雅に教えるほどの実力を兼ね備えていた。高遊外の提唱した煎茶道にも賛同してその人生の記録を残し、さらには伊藤若冲を支援したことで相国寺に貴重な若冲の作品を残した。 「 若冲 」 の名は大典顕常が与えたものとされている。
西笑承兌 ( さいしょうじょうたい ) も戦国時代から江戸時代にかけて相国寺の住持を務め、豊臣秀吉や徳川家康の顧問的役割を務め、戦乱などで荒廃していた伽藍を復興に導いた。春屋宗園 ( しゅおんおくそうえん ) は安土桃山時代の大徳寺の住持で、三玄院や龍光院の開山となり、今井宗久・千利休などの茶人と交わったほか、千宗旦の得度を行い、沢庵宗彭などの弟子も育てた。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│建築・庭園・美術