2015年01月24日
第2638問
【第2638問】
本尊の十一面観音立像が国宝である寺院はどこか。
ア、神護寺 イ、六波羅蜜寺 ウ、隨心院 エ、千本釈迦堂
↓解答はこちら
本尊の十一面観音立像が国宝である寺院はどこか。
ア、神護寺 イ、六波羅蜜寺 ウ、隨心院 エ、千本釈迦堂
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【第2638問】
<解答> イ、六波羅蜜寺
<解説> 六波羅蜜寺は、市の聖と敬われた空也が応和3 ( 963 ) 年に鴨川の東岸に一堂を建て、西光寺と称したのが起こりである。当時疫病が蔓延していたため、空也は本尊とした十一面観音立像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也の死後、貞元2 ( 977 ) 年に中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末期には付近に平清盛ら平家一門の屋敷が営まれ、鎌倉時代には六波羅探題が置かれた。
神護寺の本尊は国宝の薬師如来立像であり、隨心院の本尊は重要文化財の如意輪観音坐像であり、千本釈迦堂 ( 大報恩寺 ) の本尊は重要文化財の釈迦如来坐像である。(3級)
<解答> イ、六波羅蜜寺
<解説> 六波羅蜜寺は、市の聖と敬われた空也が応和3 ( 963 ) 年に鴨川の東岸に一堂を建て、西光寺と称したのが起こりである。当時疫病が蔓延していたため、空也は本尊とした十一面観音立像を車に乗せて引きながら歩き、念仏を唱え、病人に茶をふるまって多くの人を救ったという。空也の死後、貞元2 ( 977 ) 年に中信が中興して天台別院とし、六波羅蜜寺と改称した。それ以降天台宗に属したが、桃山時代に真言宗智積院の末寺となった。平安末期には付近に平清盛ら平家一門の屋敷が営まれ、鎌倉時代には六波羅探題が置かれた。
神護寺の本尊は国宝の薬師如来立像であり、隨心院の本尊は重要文化財の如意輪観音坐像であり、千本釈迦堂 ( 大報恩寺 ) の本尊は重要文化財の釈迦如来坐像である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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