2014年11月21日
第2574問
【第2574問】
秦氏によって創建されたとされる広隆寺の現在の本尊はどれか。
ア、聖徳太子像 イ、弥勒菩薩半跏思惟像 ウ、不空羂索観音立像 エ、薬師如来立像
↓解答はこちら
秦氏によって創建されたとされる広隆寺の現在の本尊はどれか。
ア、聖徳太子像 イ、弥勒菩薩半跏思惟像 ウ、不空羂索観音立像 エ、薬師如来立像
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【第2574問】
<解答> ア、聖徳太子像
<解説> 広隆寺は推古11 ( 603 ) 年に渡来系豪族秦氏の長であった秦河勝が、聖徳太子から弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、本尊として建立したのが始まりである。その後、弘仁9 ( 818 ) 年に火災によって伽藍を焼失したが、承和3 ( 836 ) 年より中興の祖とされる道昌によって諸堂や仏像の復興が進められた。また久安6 ( 1150 ) 年には再び火災にあい、伽藍を焼失するものの、創建当時の仏像七体をはじめ多くの仏像が守り抜かれ、現在に伝えられている。本尊は当初の弥勒菩薩から薬師如来立像となり、さらに聖徳太子像に代わっている。現在の形が整ったのは江戸時代の安永年間 ( 1772 ~ 1781 ) とされる。
その他にも国宝として、講堂に祀られている阿弥陀如来坐像、霊宝館に 「 泣き弥勒 」 と呼ばれるもう一体の弥勒菩薩半跏思惟像、不空羂索観音立像、千手観音立像、十二神将などが安置されている。(2級)
<解答> ア、聖徳太子像
<解説> 広隆寺は推古11 ( 603 ) 年に渡来系豪族秦氏の長であった秦河勝が、聖徳太子から弥勒菩薩半跏思惟像を賜り、本尊として建立したのが始まりである。その後、弘仁9 ( 818 ) 年に火災によって伽藍を焼失したが、承和3 ( 836 ) 年より中興の祖とされる道昌によって諸堂や仏像の復興が進められた。また久安6 ( 1150 ) 年には再び火災にあい、伽藍を焼失するものの、創建当時の仏像七体をはじめ多くの仏像が守り抜かれ、現在に伝えられている。本尊は当初の弥勒菩薩から薬師如来立像となり、さらに聖徳太子像に代わっている。現在の形が整ったのは江戸時代の安永年間 ( 1772 ~ 1781 ) とされる。
その他にも国宝として、講堂に祀られている阿弥陀如来坐像、霊宝館に 「 泣き弥勒 」 と呼ばれるもう一体の弥勒菩薩半跏思惟像、不空羂索観音立像、千手観音立像、十二神将などが安置されている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:03│Comments(0)
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