2014年11月15日
第2568問
【第2568問】
大徳寺の高桐院にある袈裟型の手水鉢は誰が細川三斎に贈ったものか。
ア、千利休 イ、加藤清正 ウ、豊臣秀吉 エ、水戸光圀
↓解答はこちら
大徳寺の高桐院にある袈裟型の手水鉢は誰が細川三斎に贈ったものか。
ア、千利休 イ、加藤清正 ウ、豊臣秀吉 エ、水戸光圀
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【第2568問】
<解答> イ、加藤清正
<解説> 高桐院は、大徳寺の塔頭の一つで、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した武将・細川忠興が、父幽斎の菩提を弔うため叔父の玉甫紹琮 ( ぎょくほじょうそう ) を開山として慶長6 ( 1601 ) 年に創建した。本堂の南側に広がる庭は、別名 「 楓の庭 」 と呼ばれるように、自然なままで楓の木々が広がり、中央に燈籠が一基配置されて苔が庭全体を覆っている。また西の庭は飛び石本位の作り方で、深山幽谷を表しており、こちらには三斎が加藤清正から贈られたという 「 袈裟型手水鉢 」 が据えられている。三斎はことのほかこの手水鉢を気に入り、江戸への参勤交代時にも運ばせて使用したとされる。
千利休は細川三斎に欠灯籠 ( かけとうとう : 高桐院に現存 ) を贈っており、豊臣秀吉は青蓮院に一文字手水鉢を寄進しており、水戸光圀は龍安寺に知足の蹲 ( つくばい ) を寄進している。(2級)
<解答> イ、加藤清正
<解説> 高桐院は、大徳寺の塔頭の一つで、戦国時代から江戸初期にかけて活躍した武将・細川忠興が、父幽斎の菩提を弔うため叔父の玉甫紹琮 ( ぎょくほじょうそう ) を開山として慶長6 ( 1601 ) 年に創建した。本堂の南側に広がる庭は、別名 「 楓の庭 」 と呼ばれるように、自然なままで楓の木々が広がり、中央に燈籠が一基配置されて苔が庭全体を覆っている。また西の庭は飛び石本位の作り方で、深山幽谷を表しており、こちらには三斎が加藤清正から贈られたという 「 袈裟型手水鉢 」 が据えられている。三斎はことのほかこの手水鉢を気に入り、江戸への参勤交代時にも運ばせて使用したとされる。
千利休は細川三斎に欠灯籠 ( かけとうとう : 高桐院に現存 ) を贈っており、豊臣秀吉は青蓮院に一文字手水鉢を寄進しており、水戸光圀は龍安寺に知足の蹲 ( つくばい ) を寄進している。(2級)
Posted by きょうすけ at 17:41│Comments(0)
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