2014年09月15日
第2508問
【第2508問】
日蓮宗の本圀寺に山門を寄進したのは誰か。
ア、吉野太夫 イ、加藤清正 ウ、明智光秀 エ、千利休
↓解答はこちら
日蓮宗の本圀寺に山門を寄進したのは誰か。
ア、吉野太夫 イ、加藤清正 ウ、明智光秀 エ、千利休
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【第2508問】
<解答> イ、加藤清正
<解説> 本圀寺は日蓮宗の大本山の一つで、建長5 ( 1253 ) 年、日蓮が鎌倉に開いた草庵・法華堂が始まりである。日蓮亡き後、弟子によって引き継がれていたが、鎌倉幕府が滅亡して室町幕府ができると、貞和元 ( 1345 ) 年に京都・堀川六条に移して本国寺とした。貴族の子弟が代々貫主となったこともあり、堂宇も一時100を超えたと伝えられているが、天文5 ( 1536 ) 年に比叡山の僧徒の焼き討ち ( 天文法華の乱 ) にあい、堺に避難した。その後、豊臣秀吉の姉・日秀尼や加藤清正によって再興され、江戸時代には水戸光圀公の援助を受けて往来の隆盛をとり戻し、この時に光圀公にちなんで寺名が 「 国 」 から 「 圀 」 へ改められたという。昭和45年に現在地の山科へ移転し、熱心な法華経信者であった加藤清正寄進の 「 清正門 」 や、境内には日秀尼寄進の梵鐘や加藤清正を祀る神社もある。
吉野太夫が寄進した吉野門は鷹峯の常照寺にあり、明智光秀の追善供養のために建立された浴室は花園の妙心寺にあり、千利休が寄進した三門は紫野の大徳寺にある。(2級)
<解答> イ、加藤清正
<解説> 本圀寺は日蓮宗の大本山の一つで、建長5 ( 1253 ) 年、日蓮が鎌倉に開いた草庵・法華堂が始まりである。日蓮亡き後、弟子によって引き継がれていたが、鎌倉幕府が滅亡して室町幕府ができると、貞和元 ( 1345 ) 年に京都・堀川六条に移して本国寺とした。貴族の子弟が代々貫主となったこともあり、堂宇も一時100を超えたと伝えられているが、天文5 ( 1536 ) 年に比叡山の僧徒の焼き討ち ( 天文法華の乱 ) にあい、堺に避難した。その後、豊臣秀吉の姉・日秀尼や加藤清正によって再興され、江戸時代には水戸光圀公の援助を受けて往来の隆盛をとり戻し、この時に光圀公にちなんで寺名が 「 国 」 から 「 圀 」 へ改められたという。昭和45年に現在地の山科へ移転し、熱心な法華経信者であった加藤清正寄進の 「 清正門 」 や、境内には日秀尼寄進の梵鐘や加藤清正を祀る神社もある。
吉野太夫が寄進した吉野門は鷹峯の常照寺にあり、明智光秀の追善供養のために建立された浴室は花園の妙心寺にあり、千利休が寄進した三門は紫野の大徳寺にある。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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