2014年08月20日
第2482問
【第2482問】
室町幕府の第3代将軍・足利義満が将軍に就任した時に、管領として幕府を支えた人物は誰か。
ア、細川頼之 イ、斯波義将 ウ、赤松満祐 エ、畠山義就
↓解答はこちら
室町幕府の第3代将軍・足利義満が将軍に就任した時に、管領として幕府を支えた人物は誰か。
ア、細川頼之 イ、斯波義将 ウ、赤松満祐 エ、畠山義就
↓解答はこちら
【第2482問】
<解答> ア、細川頼之
<解説> 細川頼之 ( ほそかわよりゆき ) は、足利一門であった細川氏の中で、四国の阿波・伊予の守護を兼ね、第2代将軍・義詮 ( よしあきら ) の死の直前に 「 管領 」 となった。質実剛健を旨としながら幼少の頃から義満を支え、幕府の体制を固めながら、守護に新たな権限を認めた 「 半済令 」 を発布するなど、現場の状態に即した現実的な施策を主導した。頼之は権力を持ちすぎたがゆえに、一時、ライバルの斯波義将 ( しばよしかど ) らによって排除されたが、義満の厚い信頼のもと幕政に復帰し、最後まで義満政権を支え続けた。幼少の頃に夢窓疎石の教えを受けたとも伝わり、京都には地蔵院 ( 通称:竹の寺 ) を創建しており、また歌も勅撰集に採用されるなど、文武両道の名将として後世に語り継がれている。
赤松満祐は 「 嘉吉の乱 」 にて第6代将軍・足利義教を殺害した人物であり、畠山義就 ( はたけやまよしなり ) は 「 応仁の乱 」 の引き金となった畠山氏の後継者争いで登場する人物である。(3級)
<解答> ア、細川頼之
<解説> 細川頼之 ( ほそかわよりゆき ) は、足利一門であった細川氏の中で、四国の阿波・伊予の守護を兼ね、第2代将軍・義詮 ( よしあきら ) の死の直前に 「 管領 」 となった。質実剛健を旨としながら幼少の頃から義満を支え、幕府の体制を固めながら、守護に新たな権限を認めた 「 半済令 」 を発布するなど、現場の状態に即した現実的な施策を主導した。頼之は権力を持ちすぎたがゆえに、一時、ライバルの斯波義将 ( しばよしかど ) らによって排除されたが、義満の厚い信頼のもと幕政に復帰し、最後まで義満政権を支え続けた。幼少の頃に夢窓疎石の教えを受けたとも伝わり、京都には地蔵院 ( 通称:竹の寺 ) を創建しており、また歌も勅撰集に採用されるなど、文武両道の名将として後世に語り継がれている。
赤松満祐は 「 嘉吉の乱 」 にて第6代将軍・足利義教を殺害した人物であり、畠山義就 ( はたけやまよしなり ) は 「 応仁の乱 」 の引き金となった畠山氏の後継者争いで登場する人物である。(3級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
│歴史・史跡