2014年06月09日
第2410問
【第2410問】
智積院の大書院に面した名勝庭園の作者は誰か。
ア、覚鑁 イ、玄宥 ウ、運敞 エ、豊臣秀吉
↓解答はこちら
智積院の大書院に面した名勝庭園の作者は誰か。
ア、覚鑁 イ、玄宥 ウ、運敞 エ、豊臣秀吉
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【第2410問】
<解答> ウ、運敞
<解説> 覚鑁 ( かくぱん ) によって開かれた根来寺は、豊臣秀吉の根来攻めを受けて全山焼き討ちの被害にあった。この時、根来寺の学問所であった智積院は辛くも難を逃れ、当時の住職であった玄宥 ( げんゆう ) を中心に再興の時期を待った。その後、慶長6 ( 1601 ) 年に徳川家康によって、かつて秀吉が祀られていた豊国神社などの土地が智積院に与えられ、さらに祥雲寺も与えられることによって現在の基礎が築かれた。
大書院前の名勝庭園は、祥雲寺時代に千利休好みによって作庭された庭園の横に、第七世住職であった運敞 ( うんしょう ) によって築かれた築山式の庭園で、中国の廬山を象った築山の下には、中国の大河である長江に見立てた池が配置されている。(2級)
<解答> ウ、運敞
<解説> 覚鑁 ( かくぱん ) によって開かれた根来寺は、豊臣秀吉の根来攻めを受けて全山焼き討ちの被害にあった。この時、根来寺の学問所であった智積院は辛くも難を逃れ、当時の住職であった玄宥 ( げんゆう ) を中心に再興の時期を待った。その後、慶長6 ( 1601 ) 年に徳川家康によって、かつて秀吉が祀られていた豊国神社などの土地が智積院に与えられ、さらに祥雲寺も与えられることによって現在の基礎が築かれた。
大書院前の名勝庭園は、祥雲寺時代に千利休好みによって作庭された庭園の横に、第七世住職であった運敞 ( うんしょう ) によって築かれた築山式の庭園で、中国の廬山を象った築山の下には、中国の大河である長江に見立てた池が配置されている。(2級)
Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)
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