2014年01月26日
第2276問
【第2276問】
京田辺市にある酬恩庵 ( 一休寺 ) は誰がもともと創建したか。
ア、南浦紹明 イ、春屋妙葩 イ、義天玄承 エ、関山慧玄
↓解答はこちら
京田辺市にある酬恩庵 ( 一休寺 ) は誰がもともと創建したか。
ア、南浦紹明 イ、春屋妙葩 イ、義天玄承 エ、関山慧玄
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【第2276問】
<解答> ア、南浦紹明
<解説> 一休寺は、鎌倉時代に南浦紹明 ( なんぽじょうみょう ) が中国で禅を学んで帰国した後、禅の道場として妙勝禅寺を創建したことに始まる。その後、兵火によって荒廃していたが、康正2 ( 1456 ) 年に63歳となった一休禅師が草庵を営んで復興し、師の恩に酬 ( むく ) いるという意味から 「 酬恩庵 」 と名づけた。一休禅師は晩年の約25年間をこちらで過ごし、文明13 ( 1481 ) 年に88歳で亡くなった。その後、荒廃した時期もあったが、慶安3 ( 1650 ) 年にかつてこの地に 「 大坂の陣 」 で陣地を敷いた前田利常によって再建され、現在に至っている。
春屋妙葩 ( しゅんおくみょうは ) は相国寺の第二世住持であり、義天玄承 ( ぎてんげんしょう ) は龍安寺の開山であり、関山慧玄 ( かんざんえげん ) は妙心寺の開山である。(3級)
<解答> ア、南浦紹明
<解説> 一休寺は、鎌倉時代に南浦紹明 ( なんぽじょうみょう ) が中国で禅を学んで帰国した後、禅の道場として妙勝禅寺を創建したことに始まる。その後、兵火によって荒廃していたが、康正2 ( 1456 ) 年に63歳となった一休禅師が草庵を営んで復興し、師の恩に酬 ( むく ) いるという意味から 「 酬恩庵 」 と名づけた。一休禅師は晩年の約25年間をこちらで過ごし、文明13 ( 1481 ) 年に88歳で亡くなった。その後、荒廃した時期もあったが、慶安3 ( 1650 ) 年にかつてこの地に 「 大坂の陣 」 で陣地を敷いた前田利常によって再建され、現在に至っている。
春屋妙葩 ( しゅんおくみょうは ) は相国寺の第二世住持であり、義天玄承 ( ぎてんげんしょう ) は龍安寺の開山であり、関山慧玄 ( かんざんえげん ) は妙心寺の開山である。(3級)
Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)
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