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2013年11月27日

第2216問

【第2216問】
嵯峨野の厭離庵の本堂を寄進したのは誰か。

ア、北垣国道  イ、下村彦右衛門  ウ、大村彦太郎  エ、斎藤実

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【第2216問】

<解答> ウ、大村彦太郎 

<解説> 厭離庵は、かつて百人一首を編纂した藤原定家の小倉山荘跡である。その後は荒廃したが、江戸中期に定家の子孫にあたる冷泉家によって復興され、霊元法皇から厭離庵の号を賜り、臨済宗天龍寺派となった。その後、再び衰えたが、明治43 ( 1910 ) 年になって、貴族院議員であった白木屋社長の大村彦太郎によって、本堂と庫裏を建立されて再び復興を遂げ、山岡鉄舟氏の娘素心尼が住職につくと、以後尼寺となった。
  京都府第三代知事を務めた北垣国道は、祇王寺の本堂を寄進しており、百貨店の大丸の創業者である下村彦右衛門は、海宝寺の本堂を寄進しており、総理大臣を務めた斎藤実は、東京に日仏寺本堂を建て、のちに大覚寺の霊明殿として移築された。(2級)

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Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)神社・寺院
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