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2013年09月13日

第2142問

【第2142問】
豊臣秀吉の側室であった淀殿が住んだ淀城の場所は現在のどこにあたるか。

ア、妙顕寺  イ、妙教寺  ウ、妙円寺  エ、妙覚寺

↓解答はこちら

【第2142問】

<解答> イ、妙教寺

 
<解説> 妙教寺 ( みょうきょうじ ) は、江戸初期に淀古城の地に創建された日蓮宗の寺院であり、南西に新たに築城された淀城の守護の役割を担った。付近は幕末の 「 鳥羽伏見の戦い 」 で激戦地となり、本堂にも砲弾が撃ち込まれ、現在も破損した柱や当時の弾などが残されている。
  妙顕寺は、日像上人によって開かれた京都における日蓮宗の草分け的存在であり、日蓮宗最初の勅願寺となった。妙円寺は 「 松ヶ崎大黒天 」 に通称で知られており、 「 都七福神めぐり 」 の札所の一つである。妙覚寺は日蓮宗の大本山の一つであり、織田信長と関係が深かったこともあり、信長上洛時の常宿となっていた。 「 本能寺の変 」 が起こった時には、父信長から家督を継いでいた織田信忠が泊っていたが、信忠は変を知った直後に防御しやすい二条御所へ移動し、そちらで迫ってきた明智軍と奮戦後、自刃した。(3級)

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Posted by きょうすけ at 23:59│Comments(0)歴史・史跡
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