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2013年05月15日

第2023問

【第2023問】
かつて広沢池の周囲に広大な伽藍を誇った遍照寺の開山は誰か。

ア、恒寂法親王  イ、覚快法親王  ウ、寛朝僧正  エ、仁海僧正

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【第2023問】

<解答> ウ、寛朝僧正

<解説> 遍照寺は、宇多天皇の孫である寛朝僧正 ( かんちょうそうじょう ) が広沢池畔の山荘を改めて寺院にしたもので、池畔には多宝塔、釣殿等、数々の堂宇が並ぶ広大な伽藍を形成していた。現在も、広沢池南側に小規模ながら現存し、奇跡的に難を逃れた創建当時の十一面観音 ( 重要文化財 ) や赤不動明王を祀っている。
 恒寂法親王 ( こうじゃくほっしんのう ) は淳和天皇の第二皇子であった恒貞親王( つねさだしんのう ) の法名で、大覚寺の初代住職となった。覚快法親王 ( かくかいほっしんのう ) は鳥羽天皇の第七皇子で、天台座主を務めた後に青蓮院に入った。それ以後、青蓮院は天台三門跡寺院の筆頭としての格式を誇っていく。仁海僧正 ( にんがいそうじょう ) は平安中期の真言宗の僧で、降雨の祈祷を得意とし、随心院の前身となる曼荼羅寺を創建した。

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Posted by きょうすけ at 10:00│Comments(0)神社・寺院
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